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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2009.1.1 Thu

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vol.1 吉田 玲雄

映画監督

INTERVIEW

  • 吉田 玲雄[よしだれお]
    映画監督
    1975年東京生まれ。1993年インターナショナルスクールを卒業後渡米。ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ等の大学で映画と写真を専攻。 2003年サンフランシスコ・アート・インスティテュート大学院卒業。現在はPorter Classic 取締役。著書「ホノカアボーイ」が映画化され、2009年3月14日より全国東宝系ロードショー。

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STAFF
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ロスのマックスフィールドに負けていないお店が日本にあるというのがすごくショックで。しかも福岡に。ノックアウトでした。

福岡という街について、どのような印象をお持ちですか?

よい印象しかないですね。僕は九州が大好きで宮崎から熊本、長崎、もちろん福岡もですが、あちこち行っています。日本の中では九州がいちばん好きですね。人も、食べ物も。東京では全く車を運転しないのですが、九州に来ると本当に気持ちよく運転できるんです。今行ってみたいのは能古島。(ここから)近いのですよね?

はい。福岡は広くないところなので、街からいろいろな場所まですぐに行けます。

空港も近いですよね。あれは最高です。

福岡のファッションシーンについてはいかがですか?

ここ(minorityrev)は衝撃でした。実は少し前に、福岡の職人さんに会いに来たんですが、そのときにたまたま知り合いのスタイリストを通じて林さん(minorityrev代表)と古川さん(minorityrevバイヤー)とお会いして。

くるめかすりですよね?

そうです。その帰りにここに連れてきていただいたんですが、もう入った瞬間、ショックで。やっぱり職業柄、いろいろなお店に行くのですが、それこそロスのマックスフィールドも行ったし、パリのコレットも行ったし、みんな知り合いだし。でもマックスフィールドに負けていないお店が日本にあるというのがすごくショックで。しかも福岡に。ノックアウトでした。このスペースで、センスがいい。入った瞬間にずっと探していたレイバンの本物があったんです。な、なんでここに?と思って。50年代のものですよ。もちろんその日に買って帰りました(笑)

「ちょっとやそっとじゃなくならないもの」じゃないですか、「made in Japan」は。

Poter Classic立ち上げの経緯をお聞かせください。

何年か前に、父が病気を煩ってしまったのですが、ある日人生の節目にたったとき、また初心に戻ってものがつくりたいと言い出したんです。数字、数字の毎日だったけれど、カバンだけではなく、それまでずっとやりたかった洋服もつくりたい、とにかくやってみたいという話があったんですね。父が体調を悪くしたときも僕がいちばん間近で見ていましたし、絶対ひとりではできないということもわかっていましたから、これはふたりでやったらかっこいいんじゃないかと、「うちの父を最高にプロデュースできるのは俺だ」と、ふと思ったんです。今回のPorter Classicの立ち上げはチャレンジだったんですね、カバンだけでなく洋服もその他もやるわけですから。本当に二人で、ゼロからのスタートでした。

構想には長い時間をかけたのでしょうか。

アイデアは前々からありました。例えばこれ(この日、玲雄さんが着用していた剣道着の生地の洋服)なんかは、うちがアイコンとしてずっと続けていくものなのですが、始まりはどこの職人さんにも「ない」「できない」の連続だったんですよ。「ミシンが壊れちゃうよ」って。そういった職人さんとの交渉とか、あとは素材が堅くて快適でないのなら意味がないと、何回もやり直して…とか。もうずっと登り坂(笑)でもとにかく「やってみようか」という気持ちですよね、最初は。それほど素晴らしい生地ですし、「made in japan」にこだわって誰もやったことのないことをやっているわけですから。

道着に触れたのは?

アメリカのある蚤の市で剣道着を見たのが始まりでした。

海外なんですね。

そうです。だからなおさらというのもあるのかもしれないですね。ただのボロ布だったのですが、父にすれば宝物だと。そのときに、日本って凄いなって再確認しました。それがもととなって(Porter Classicが)始まりました。

「made in japan」にこだわり、ものづくりをされていますが、日本の優れているところ、また日本らしいと思うところはどんなところですか。

思いやり。職人さんなり工場の方なり、そこはやっぱり凄いですよね。思いやりと思い入れという点においては、他の国とは違いますね。何年も残るものをつくり続けている国だと思います。「ちょっとやそっとじゃなくならないもの」じゃないですか、「made in japan」は。

海外から騒がれて逆輸入というパターンなんて、絶対にやりたくなかったんです。簡単すぎるし、あまりかっこよくないし。

銀座に続く2号店として、ここ福岡のminorityrevを選んだ理由を教えてください。

「心」ですね。林さんと古川さんの心に惹かれたというか。いろんなところで展開するのではなく、本当によいところでしかやりたくなかったですし。minorityrevの皆さんは、本当に気持ちのよい方たちなんです。お店も気持ちよかったし。東京だけではなく、福岡で「Porter Classic」をやるって考えると、かっこいいなと思って。普通だったら、すぐに行き着くのが海外ですよね。でも海外から騒がれて逆輸入というパターンなんて、絶対にやりたくなかったんです。簡単すぎるし、あまりかっこよくないし。いろんなことがすべて絡み合ってここでのオープンに至りました。

実際、初めて福岡に来られてから福岡店のオープンまで、あまり長くなかったと聞きましたが。

初めて(林さん、古川さんに)お会いしたのは確か9月あたりでしたね。その後東京でうちの展示会があって「やりましょう」という自然とそんな話になりました。それからはすぐでしたね。

半年くらいですか。早いですね

そうですね、迷いはなかったです。そんなものですよね。映画「ホノカアボーイ」のときもそうでした。迷いなく書けるというか。

小説を書かれたり、写真をお撮りになったり、モデルをされたりと多岐にわたる活動をなさっていますが、今のご自分をつくる上で影響を受けた人はいらっしゃいますか。

やっぱり…偉大なる祖父や父じゃないでしょうか。祖父は凄く真面目で、無駄が嫌いな男でした。革の財布ひとつつくるにしても、余った革でつくるんですよ。捨てないでとっておいたもので。そういう発想というか、モノに対する「心」ですよね。高い革でつくることなら誰でもできる、けれど余ったモノで何かやるっていう。父は「理屈じゃない、さわって気持ちいいか、着ていて気持ちいいか」といつも言います。そんなところは凄く影響を受けましたね。スタイル云々ではないんですね、心構えが大事なのです。「五感」というのは大学時代に教授からも教え込まれました。国語の先生だったのですが、五感を使った文章を書きなさいと言われていました。考えてみると父も同じような発想なんですよね。旅好きなのですが、旅って五感をいちばん刺激するものですよね。

村の人からは「頭がおかしいのかい」と言われましたが(笑)

映画「ホノカアボーイ」について。原作を拝見しましたが、こと細かに出来事や情景が描かれていますね。日記をつけていらしたのでしょうか。

そうです。ハワイ島に行った初日、小さな村に古い映画館があって、そこで映写技師やるなんて、これは一生に一回しかないから記録しておこうと思って、スーパーに行ってメモ帳を買って、それからずっと毎日書いていたんですよ。あんまり僕はもの集めしない人間なのですが、それ(メモ帳)が埋まっていくのが凄く楽しくて。それであるとき、日記を読み返して、「これはおもしろいな」と思ったんです。笑えたし、当時の話を家族や友人にすると、よい反応だったんです。それで本にしようと思いつきました。

映画化に至った経緯をお聞かせください。ご自身が映画化を発案されたのですか?

本だと紙とペンだけあればいい。けれど映画となると、どんな安い映画でもお金ってかかるもので、人もたくさん関わってきます。本を出した時点で僕はもうやりきった感があったんですね。なので自分では「映画にしたい」とは思ってなかったです。スタッフ選びの際も本当に名だたる方たちを候補にあげていただいたのですが、(脚本・プロデューサーの)高崎さんの作品集を見てお会いしたこともなかったのですが、この方にお願いしたいと思いました。そのくらい彼の作品集は感動的だったんです。これも迷いがなかったですね。ちょうどその頃、(音楽プロデューサーの桑原)茂一さんの紹介でリリー・フランキーさんにもお会いしたのですが、「思いきり関わるか、放っとくか、どっちかがいいよ」と言われたんです。なのでほとんどを高崎さんに委ねることにしました。

制作のスタッフチームに興味を持ちました。まずカメラマンの市橋織江さんについてお聞かせいただけますか。

現場では圧倒的な存在感でした。市橋さんが現場ではいちばん忙しかったと思います。恐らく、日本一タバコの吸い方がかっこいいですね(笑)父なんかは市橋さんの大ファンになってましたから。

市橋さんをキャスティングした理由とは。

キャスティングの時点で僕は直接からんでいるわけではないのですが、カットをつなぐ手法などの編集力ではなく、ひとつの画で何かインパクトを残せるような撮影監督がいいのではないかという狙いがあったようです。

お料理のプロデュースは高山なおみさんですが。

高崎さんも僕の知り合いのシェフも言っていましたが、高山さんのレシピ本は、本当に書かれている通りに作るとめちゃくちゃ美味しいのだそうです。高山さんがこういったプロジェクトに参加するということは奇跡に近いことですよ。

現場では実際に高山さんのお料理をみなさんで召し上がったりされたのですか?

しました。撮影が終わってからのお弁当が、高山食堂というところで売られていました(笑)みんな疲れて宿泊先に帰るとまず高山さんのところへ行き、お弁当を5ドルで買ってそれを食べて寝るという、そんな日々でしたね。

実際にホノカア村で撮影なさったのですよね。当時のことをいろいろと思い出すことも多かったのでは。

そうですね。とにかく村の人たちが凄く喜んでいましたね。映画館も使いましたし。村の人からは「頭がおかしいのかい」と言われましたが(笑)こんな村で映画をつくるなんて、何がおもしろいんだ?と(笑)

今もホノカア村を訪れることはありますか。

去年はたくさん行きましたね。結婚式も村の映画館で挙げましたのでその打ち合わせでも行きましたし。撮影の期間だけでも3回は行っています。

映画の前でも終わってからもみんながどこかでつながっているので、今回のプロジェクトは面白いですよ。

ビーさんを演じられた倍賞千恵子さんについて聞かせてください。実際のビーさんに凄く似ていたのだとか。

これは僕が絶対に譲らなかった点で、「倍賞さんでないと絶対にイヤです」といちばん最初に言いました。3年ほど前、初めて映画化のお話をいただいたときに。何かの雑誌で倍賞さんのインタビュー記事を読んだことがあって、あれ、ビーさんそっくりだなと思ったんです。それでこの人しかいない!と。倍賞さんに決ったときはかなりうかれましたね(笑)撮影3日目だったかな、現場に行って初めてお会いしたときに号泣しちゃって。あまりにもそっくりだったので涙が止まらなかったんです。本当なら何かご挨拶しなきゃいけないのに、号泣しちゃってるもんだから何も言えなかったのですが、そうすると倍賞さんも泣きだしちゃって、「大丈夫よ、ビーよ」って言ってくれたんです。きっとその瞬間を撮られているから、メイキングか何かで見れると思います(笑)

そんな倍賞さんとお別れすることになってしまうクランクアップのときは、やはりさみしくなったのでは。

そうなんですけれど、運良くその後も倍賞さんとは繋がりを持たせていただいていて。娘が産まれたときには倍賞さんからプレゼントを贈っていただいたり、つい先日のハワイでのプレミアでは実際に娘を紹介できたり。11月の13日かな、浅草での倍賞さんのコンサートにも行きました。(その日は)ビーさんの誕生日ですよ。そうするとその3日後くらいにうちの娘が産まれて。不思議といろいろなことが繋がるものです。映画の前でも終わってからもみんながどこかで繋がっているので、今回のプロジェクトはおもしろいですよ。

主演の岡田将生さんについてはいかがでしょうか。

僕はこの映画がスターが生まれたら最高だなと思ってました。なので岡田くんが出てきたときには嬉しかったですね。写真を見てすぐに決めました。そしてまた洋服が似合うんですよね。

音楽のキャスティングも蒼々たる方ばかりですね。

サントラがまたいいんですよ。きっと夏にかけて少しずつ、だんだんあたるんじゃないかなと、それぐらいよいですね。茂一さんには子供の頃からお世話になっているんです。茂一さんがパリコレであるブランドの音楽をやっていて、そのショーに父が出て、僕も出たことがあったりして。10年ほど前に今回の企画の杉山さんという方を紹介してくれたのも茂一さん。それから何年か後にこうやってみんなが一緒にチームとなってつくっている。おもしろいですよね。ただ単に集まっているということではなくて、宿命のように。いろんな見えない力が動いた映画でした。撮影しているときも、今日これ風吹かなかったらやばいなって天気のときに不思議と風が吹いてきたり。あとは僕が車を運転していたら、ある村人がやってきて「これ俺の車なんだ、写真撮っていいかな」て言うんです。その人は何の映画を撮っているかなんて知らなかったんですが、話しているうちに「ビーさんの最期、介抱してたのはうちの嫁だよ」なんて話だったり。本当に、繋がりというものを常に感じる映画でしたね。

主題歌を歌われている小泉今日子さんも古くからのご友人なのだとか。

キョンちゃん(小泉さん)は、撮影当時1週間、ホノカア村に来てくれました。映画化という話が出たときからどうにか小泉さんに関わってもらえないかなと考えていました。初めてデモテープを聴いたときはまた号泣でした。ハワイにいた頃ずっと「Over the Rainbow」を聴いていたのですが、今回の曲がまた「虹」じゃないですか。それでもまた感動しちゃって。いい曲だったしね。恐るべし!小泉今日子って思いましたよ。それと小泉さんは実際にビーさんに会っていますからね。生き証人なんです。

どこかで繋がっている方たちと一緒にチームとしてモノを作れるって、幸せなことですね。

本当に幸せなことだと思います。モノをつくるときって、絶対にストレスがあるじゃないですか。決して避けて通れない。けれどそういう人たちといっしょにできることで、力が倍発揮できるような、そんなところはありますね。「ホノカアボーイ」も「Porter Classic」も、支えてくれている方たちが本当に素晴らしい。

今回の映画で、いちばん思い入れがあるというか、力を入れた部分はどんなところですか。

実際に市橋さんがいたり、真田監督がいたりだったので、絵作りの部分では僕はノータッチだったんですね。ただ、岡田くんの衣装を担当したり、Porter Classicのアイテムを提供したり、そういう部分では関わりました。それと最初に「ハワイで撮影してください」ということだけはお願いしました。ハワイの空気が偽りなくちゃんとフィルムに映されますから。大正解でしたね、他でやると絶対に再現できないものになりました。あそこで風が吹くからホノカアであるわけですから。

最後に、この映画を通じて、何を感じてもらいたいですか。

「理屈じゃないところ」ですね。「理屈」をどこかに預けて、映画館に入ってもらいたいですね。そうすると、もの凄く心に響く映画だと思います。

INTERVIEW

  • 吉田 玲雄[よしだれお]
    映画監督
    1975年東京生まれ。1993年インターナショナルスクールを卒業後渡米。ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ等の大学で映画と写真を専攻。 2003年サンフランシスコ・アート・インスティテュート大学院卒業。現在はPorter Classic 取締役。著書「ホノカアボーイ」が映画化され、2009年3月14日より全国東宝系ロードショー。

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