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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2009.7.1 Wed

VOICE TITLE

vol.7 想田和弘

映画監督

INTERVIEW

  • 想田和弘[Kazuhiro Soda]
    映画監督
    1970年、栃木県足利市生まれ。1993年からNYに在住、劇映画やドキュメンタリーを制作し、現在に至る。1997年、学生時代に監督した短編映画「ザ・フリッカー」がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞にノミネートされる。1996年には長編「フリージング・サンライト」がサン・パウロ国際映画祭・新進映画作家賞にノミネート。1995年の短編「花と女」はカナダ国際映画祭で特別賞を受賞した。これまでにNHKのドキュメンタリー番組を合計40本以上演出、中でも養子縁組み問題を扱った「母のいない風景」は2001年、テリー賞を受賞した。観察映画第1弾のドキュメンタリー映画「選挙」(2007年アステア配給)は、ベルリン国際映画祭、シネマ・ドゥ・レエル、香港国際映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画際など世界中の映画祭に招待され、英BBC、米PBS、NHKなど約200カ国でテレビ放映された。アメリカではピーボディ賞を受賞。日本では、参議院選挙の直前に全国で劇場公開され、話題を呼んだ。観察映画第2弾「精神」(2008年アステア配給)は、釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。他にも、マイアミ国際映画祭、香港国際映画祭、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で受賞した。また、ベルリン国際映画祭など、世界中の映画祭から招待が殺到している。現在、劇作家の平田オリザ氏と青年団を被写体にした観察映画第3弾「演劇(仮題)」を制作中。 東京大学文学部宗教学科卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒(NY)。

TEXT BY

STAFF
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結局僕はハエになれなくて、ハエはハエでも追い回されるハエだったんですね(笑)

今回の「精神」は、いろいろなことを考えさせられた作品でした。患者さんのお話を聞く中で、監督が意識的にされたことがありますか?

話を引き出そうとは一切していないですね(笑)僕はもともと水か空気のようになりながら撮りたいと思っていたので、質問も一切する気がなかったんです。ある意味「ガラスで隔てられた観察者」という立場で撮りたいと思っていて。僕の前の作品の「選挙」ではそれがうまくできたんですね。「忍法観察映画の術」とか言って(笑)自分の存在感を消して、あたかもカメラがないかのように振る舞う形で撮る。ところが、こらーる(今回の作品の舞台となった精神科病院「こらーる岡山」)に行ったらそれができなかったんですよ。というのも、例えば詩人の菅野さんとかは、何か話し終わる度に「カット!」「カット!」とカメラに向かって言うんですね(笑)それで「菅野さん、僕、ここにいませんから」とか言っても「想田さんここにおるやん」とか言って、全然それを受け入れてくれないんですよ(笑)ずっとダジャレ飛ばしたりだとか、カメラに向かって話したりだとかだったので、最初は困ったなと思っていたんですね。ところがね、菅野さんだけではなくほとんどの人がそうで。皆さん僕に質問をしてこられる。ある意味僕のことを観察し、どんな人間なのか試したいというか。とにかく僕のことを放っておいてくれなかったんですね。「水か空気のように」というのを英語で言うと「壁に止まったハエ=FLY ON THE WALL」って表現するんですけれど、結局僕は、ハエはハエでも追い回されるハエだったんですね(笑)途中から僕は、被写体によって僕との関係性が変わるのは当たり前だと感じ、それをもう映画に素直に反映させたらいいんじゃないかなと思ったので、結果的には、僕と被写体の会話が多くなったんですけれど。大抵の場合は、患者さんの方からいろいろと話を始めてくれるんですよ。僕は全然質問していない。ただ、話が始まると僕も受け答えしますよね。そういう過程でいろいろな話になっているだけで。

では作品には映っていなくても監督がお話されている部分はあるのですね。

あります、あります。そういった部分も(作品には)若干残していますし。例えばあるシーンで「取材しているものをどう使うの?何かあるの?」と聞かれたときに、企画の趣旨や僕が考えていることを述べたりしますよね、そういうことってよくあったんです。そのひとつを残しておこうと思ったんですね。

観察っていうのはそういうことですね。極めて主観的なプロセスです。

編集の段階で見えてくるものもありますか?

そうですね。撮影のときは、この精神科を撮って、どんな映画になるのかなって全然わからないし、考えないようにして、なるべく目の前にある現実だけを撮るように集中しているんですね。じゃあどの段階でテーマとか自分の視点といったものが見えてくるのかっていうと、編集に入って3〜4ヶ月目とか、もっとかな。4〜5ヶ月目くらいからですかね。すごく後ですよ。

撮影したものをもう一回全部観るんですか?

もちろん観ますよ。今回のは70時間くらい(カメラを)回して、それを2時間15分の作品にしています。僕の編集のプロセスは、まず全部観るんですけれど、自分が面白かったなって記憶に残っているシーンを繋ぐんですよ。そうするとシーン1、シーン2…っていっぱいできますよね。で、それをまず繋げて観るわけです。そうすると、最初はもう、ただの羅列なんです(笑)血が通ってないんです。全っ然映画になっていなくって、そこでがっかりするわけですね(笑)そこからが勝負で、そこから順番を入れ替えたり、引いてみたり足してみたり、とにかくパズルが始まるわけ。パズルをしていくうちに「あ〜このシーンとこのシーンが実は関連性があったんだな」とか「あ〜この間のシーンが邪魔してたから関連が見えなかったんだ」とか、いろんなことがわかってくるんですよ。それでだんだん血が通ってきて、だんだんキーワードが浮かんできて。結局、素材に耳を傾けるわけですね。撮影しながら観察するのと、素材を観ながらもう1回、いやもう10回、もう20回くらい観察するわけですね。その過程で見えてきたものを映画にするんです。

編集作業をされるときって、本当に〈無〉にならないと集中できないですよね。

〈無〉になるというよりも…むしろ撮影のときに〈無〉になろうとして、編集のときはもっと自分の頭で考えますね。初めて論理的な思考を始めるというか。意識的に。ただ、撮影のときに編集のことを何も考えないかって言えば考えます。それはテーマとかではなくて、そのときに僕が経験していることをあとで再現できるかっていうこと。再現するための材料を集めることに専念するっていうことですね。例えばこういうインタビューのシーンを撮っているとすれば、多分僕は質問する人を撮るし、質問の答えを聞いている様子も撮るし、あとはもうちょっと引いた画を撮るだろうし、そういった、あとで再現できるための素材ですね。自分の主観的な観察もしながらやるわけですから、そのときに例えば誰かがイライラしていて手を動かしていたとすると、手元にカメラを向けるだろうし、っていうことですね。「精神」でも常にそういうことをやっているんですね。例えば、あるシーンに電話でずっと誰かに文句を言い続けるおじさんが出てきますけれども、彼がタバコを吸い始めたときに、だんだんタバコの灰がたまっていくわけですね。それを撮影現場で僕は観察しているんです「あ〜灰がたまってきてるな〜、どうするんだろう」って。自然にカメラを向けますよね。その意味が何であろうと。僕の目についたんでね。だからそこにカメラを向けるしそれを撮る。彼はそのタバコをそのままくわえて外に出ちゃうわけですけれど(笑)観察っていうのはそういうことですね。極めて主観的なプロセスです。僕の映画のことをよく〈客観的な映画〉だって誤解する人が多いんですけれど、全然そんなことはなくって、まず現場で何を見て何に目がいったのかってことがあるわけで、それって主観的なことですよね。主観的に見ていて、自分にはここが目についたってことが、撮影の結果として映像に定着するわけじゃないですか。そして編集のときにまた主観的に観察し直して、ああだな、こうだなと思ったものを映画として完成させるわけですからね。

ただ、観る人によって捉え方がちがうというか。〈主観的〉に撮られているのに。

そうですね。〈主観で撮る〉ことと〈解釈をオープンにする〉ということは、両立することなんですよ。いくら主観で撮ったとしても、それを押し付けなければいいんですね。実はその鍵は、ナレーションとか音楽とかテロップを使わないっていうことなんです。僕はそれによって、自分の手足を縛っている。意識的に。というのは、これらのツールって非常に強力なんですね。これを使っちゃうとね、簡単に意味を狭められちゃうんですよ。こういう解釈をしてください、ここではこう感じてください、泣いてください、笑ってくださいっていうことは、すごく簡単にできるんですね。でもそれを敢えてやらないことで、自分の視点以外というか、受け取る側は、それぞれ十人十色の受け取り方になるんです。結果的に。それは僕の計算というか、いくら僕がこう受け取ってほしいって思ったとしても、自由な受け取り方になるんですね。映像っていうのはそこが強みなんですよ。映像ってもともと多義的なものなんですね。言葉だったら、非常に意味が狭いんですよ。例えば「楽しい」だったらそのまま「楽しい」ということですよね。けれど映像で、誰かが笑っている画を撮ったとすると、それが泣き笑いに見える人も居るし、取り繕って笑っているように見える人も居るし、もちろん楽しそうって感じる人も居るだろうけれど、それだけ映像っていうのは多義的なんですね。その〈多義性〉が映像の強みだし、何て言うのかな…この世の現実ってとても複雑怪奇じゃないですか、その複雑怪奇な現実を、なるべく複雑なまま提示することに合っているメディアなんです。だからそれを利用しない手はないというか。そんなふうに僕は思うんですけれど。

自分自身が〈燃え尽き症候群〉になったということなんですね。

作品を観ていると、自分にも同じような精神状態のときがあったりするので、とても他人事のように思えない部分も多々あるわけですが、そういったことも意識して作られているんでしょうか。

伝えたいというかですね、僕自身がそのように感じたので、それがそのまま映画に反映したのだと思います。この映画を撮ろうと思ったベースになる体験っていうのが、自分自身が〈燃え尽き症候群〉になったということなんですね。東大新聞っていう学生新聞の編集長をやっていて、働きすぎて燃え尽きちゃったんですけれど。この体験で180度僕の見方が変わっちゃって、精神科とか精神病の患者さんというものに対して。それまでは、自分が絶対なることはないっていうか、精神病患者たちを異星人っていうかね、自分とは関係のないものとして捉えているところがあったんですね。ところが、そうじゃなかった。僕は幸運にして1週間で(燃え尽き症候群が)治っちゃったんですけれど。でもそのときに、「あ、自分もいつでもなるな」って。その発見なり見方っていうものがベースになっているので、映画にそういうものが反映されていることは非常に自然だと思います。今でもその見方っていうのは変わってないですし。

誰でも、紙一重なところにいるなって思うときはありますね。

そうですね、少なくとも〈異質〉ではないですよね。僕は、患者さんたちがいろいろ話しているのを聞きながら、自分の問題として非常に痛切に響くものが多かったですし、少なくとも僕らの心の動きは相似形だと思いましたね。もしかすると、起伏というか、心の動きの振幅の幅っていうのは程度に差があるのかもしれないですけれど、その(振幅の)ギザギザの形っていうのは非常に相似形というか。そんな風に僕は感じましたね。

山本先生の診療の仕方っていうのが、ドキュメンタリーとも非常に共通する部分があるなと思って

山本先生から監督ご自身が得られたものもたくさんおありかと思うのですが。

僕は山本先生のことをほとんど知らないまま、それこそ打ち合わせも顔合わせも一度もせずに撮影を始めたんですね。だけど撮っているうちに、あとは編集しているうちに、山本先生のことをいろいろと発見していったというか(笑)知っていったんですけれど。まずは、尊敬に値する人物だなと思ったのと、あとは山本先生の診療の仕方っていうのが、ドキュメンタリーとも非常に共通する部分があるなと思って。山本先生は、必ず相手に聞くというか、「ああせぇ」「こうせぇ」って山本先生が言うのではなくって、「あんたはどうしたいん?」と必ず聞くんですね。この態度は、ドキュメンタリーを作る上でも、非常に重要な態度なんです。自分のプランや計画に合わせて現実を切り取ってくるのではなくて、現実に耳を傾けるってことですよね。世界をよく見るということです。あるいは被写体の人に耳を傾けるっていうことですね。そこから自然に出てきたものを映画にする。それは、山本先生の態度から何度も気づかされることがあったというか。もともと僕もそれを目指してこういった観察映画を始めたわけですけれど、それでもやっぱり途中で、「この人もうちょっとこういうこと言っていたらよかったのにな」とか(笑)「もっとこういう状況だったら面白かったのに」とか、いろいろやっぱり出てきちゃうんですよ、そういう雑念みたいなものって。それが出てくる度に、山本先生の態度みたいなものを思い返すようにしていましたけれど。

患者さんへの撮影は、監督ご自身で撮影許可をおとりになったのですよね。反応はいかがでしたか?

僕の妻の母が「こらーる岡山」のことをよく知っていて、山本先生のこともよく知っていたんですけれど、まずはそこに撮影の許可を求めようと思って手紙を書いたんですね。「こらーる岡山」の活動者会議っていうのがあって、映画の中にも出てくるのですが、自立支援法についての意見交換をしている場面ですね、そこで(僕の)申し出を受け入れるかどうかを話し合ってもらって、受け入れましょうとなったんです。ただし、映りたくない人もいるので、ひとりひとりから許可をもらってくださいってことだったんです。それで僕とカミさんがいっしょに機材もって待合室に行って、ひとりひとり声をかけて、自己紹介して、映画に出てもらえませんか?というように聞いてまわりました。でも10人聞いたら8〜9人は「困ります」という感じでした。

患者さんのご家族にも許可をもらったりということはあったのでしょうか。

いや、それはよく聞かれるし僕も考えたことではあったんですけれど、それは一切しないというポリシーにしました。なぜかって言うと、僕が患者として「こらーる岡山」に通っていたとして、そこに映画を作る人が来た、と。それで「映画に出てくれませんか?」と聞かれたときに、いろいろ考えた末に一大決心をして「出ます!」と言ったときに、「ありがとうございます、じゃあお母さんにも聞いてみますね」って言われたらどう思うかってことですよね。僕は多分、あまりいい気はしないと思うんです。あとはね、もし本人がすごく出たいとおっしゃってくれているのに、お母さんが反対しているという場合に、僕はどうしたらいいのかっていうね。僕はたとえお母さんが反対していたとしても、ご本人の意思を尊重したいので、だから最初から聞く必要はないという結論。

患者さんから得られたものというか、撮影を通じて、精神科や精神病に対する考え方が変わった部分はありますか?

そうですね、変わった点がたくさんというか、変わったものばかりですね。それを映画にしたという感じがあります。例えば僕の中で〈病気〉っていうものは非常にネガティブなものだという印象が大きかったんですね。特に西洋近代的な発想で言えば、病気って排除すべきものですよね。それをなんとか取り除くということによって健康な状態になるっていう発想だと思うんですけれど、確かにそれも一理あるんだけれども、それだけじゃないだろうなってことをすごく気づかされたというか。例えば…映画の最後の方に出てくる、40年間統合失調症とつきあってこられたという男性がいますよね。彼にとって病気はネガティブ一色なのかってことですよね。僕は彼の言葉、あるいは人生観なり、すごく人生に対して深い洞察をされていると思うんですけれど、あれはやっぱり病気になられて、苦しまれて苦しまれていろんな体験をされた上で出てきた、すごく豊かな人生観っていうのかな、やっと出てきた黄金の言葉のように思えたんですよ。そういう意味ではもし彼が統合失調症になっていなかったら、同じような人生観が生まれ得たのかってことを考えちゃったんですね。確かにご本人は辛いだろうし病気を治したいと思われるだろうし、中には病気が原因で命を絶たれる方もいらっしゃるわけで。もちろん病気になった方がいいとは思わないですけれど、なったとしてもそれをどう捉えるかで相当変わってくるんじゃないかな。病気ってものは〈現象〉であって、それをネガティブ一色に捉えるのも、人生をポジティブな方向に変えるための契機にする のも、それは本人や周りや医者の取り様なんじゃないかなって僕は思いましたね。実際僕が思ったのは、患者さんと話していて、皆が哲学者のように思えるというか。会う人会う人、少なくとも薄っぺらい感じの人が居ないんですよね。やっぱり病気になることによって、自分と向き合わざるを得ないというか、人生について考えざるを得ない、社会について、世界について考えざるを得ないっていう退っ引きならない部分ってあると思うんですよ。そういう部分でやっぱり開拓される力みたいなものって何かあるんだと思うんですよね。いわゆる〈弱者〉って呼ばれちゃいますけど、少なくともその言葉だけでは片付けられないというか、そんな風に呼ぶのは失礼なんじゃないかなっていうのは僕は感じました。

どこでも基本的な反応が同じだったことです。非常にユニバーサルな問題なんだなって感じましたね。

各国での反応はいかがですか?

この映画を持って、いろんな映画祭をまわったんですよ。台湾、ドバイ、ベルリン、地元ですけれどNY、マイアミ、パリ、香港、あとはニヨン、それから釜山ですね。印象深かったのは、どこでも基本的な反応が同じだったことです。非常にユニバーサルな問題なんだなって感じましたね。ヨーロッパなんかだと、もっとノーマライゼーションみたいなものが進んでいて、状況はもっとマシなのかなって思っていたんですけれど、いや、全く同じような状況だと言う人が多かったですね。やっぱり精神障害者に対する偏見は強いし、政府が医療費や福祉の方をカットする傾向にあるし、どんどん厳しくなっているというようなことを聞きました。ただ、アジアの方がより熱烈な感じは受けました。釜山や台湾、香港では、本当にお客さんの反応が熱くて、深夜まで取り囲まれていろいろと質問を受けたりとか。やっぱりね、患者さんを巡る状況とかが似ているのかもしれないです。あとは同じアジア人だから感情移入しやすいというのもあるかもしれないですけれど。でも何か熱烈なものは感じましたね。ただ根本的に違うかっていうとそうではない。程度の差っていう感じはします。

政府の予算カットなどについてはどう思われますか?

そうですね…そうですね…障害者自立支援法なんかの成立の過程を見ていると、障害者の福祉とか生きやすさとか、そういうものを考えて作られた法律ではなくて、結局は健康な人の、社会の側の論理というか、お金をカットすることが先に有りきで考えだされているものだと思うので、出発点が間違っていると思いますね。ボタンを最初から掛け間違っているので、個人的には非常に残念だなと思います。実際、現場の人たち「こらーる岡山」の山本先生や患者さんの話を聞いても、非常に使い勝手が悪いと言っていました。お金を節約するために作った制度なのかもしれないけれど、逆に財政を圧迫することになるんじゃなかなっていう気すらしますよね。 ひとつ面白い話があってね。1969年かな、山本先生が精神科の病院で働いていらっしゃったんですけれど、彼が赴任した病院にはふたりしか医師がいなかったらしいんですね、院長と山本先生と。だけど340人の入院患者が居て、ほとんどが閉鎖病棟。そうすると全然手が回らないんですって。例えば閉じ込められている患者さんが、天気がいいからちょっと外に出て空気を吸ってほっとしたいなぁって思ったとしても、鍵がかかっているので自由に出て行けないわけですよ。本来ならば、お医者さんとか看護婦の人が行って、鍵を開けて連れ出して、またエスコートして戻ってくるってことをしなきゃいけないんですけれど、人が居ないからできないわけですね。だから「この鍵なんであるのかな、邪魔だな」って山本先生は思ったらしいんですね。こんなの要らないのにって思ったから、皆でディスカッションしようということで、「誰がこの鍵を閉めているのでしょうか」という毎週同じテーマで患者さんと医療スタッフ皆含めた話し合いをしたらしいんですね。そうすると最初、患者さんは「あんたらが鍵をかけているんでしょうが」って言って、お医者さんや看護婦さんを非難する。で、看護者側は「だって患者さんが勝手に帰ったりとか居なくなったりとか暴れたりするんだから鍵をかけざるを得ない、あなたたちがかけさせているんでしょうが」って言って平行線。それで終わりの時間が来る。で、これを毎週毎週やる。するとだんだん、患者さんの側からは「僕らも自分たちの行動をなんとかしなきゃいけないか もしれないね」、看護者側からは「もしかしたらこれは患者さんのためではなくて、私たちのために鍵をかけているのかもしれない」っていう意見が出始めたんですね。じゃあ今度は「どうやったら鍵を外せるのか」っていう議論になっていって、共通の目的ができたらしいんですよ。それで、議論が煮詰まったところで、鍵を外してみた。そうしたらものすごくうまくいったんだって。要は患者さんたちを〈管理〉するのではなくて、〈主体性〉を持ってもらう方向でやっていったわけですよね。そうすると逆にすごく効率がよかったわけ。人手がないから、主体性を持ってもらうしかなかったわけですね。そうしたらうまくいった。山本先生の医療は、この経験がベースになっているらしいんです。このことが、実は僕はすごく示唆を含んでいると思っていてね。今の福祉も、やっぱり管理者的な発想がすごく感じられるというか、特に精神障害者の犯罪が起こる度に、皆を押し込めておけばいいんだ、隔離しておくべきだっていう。でもその先にはあまり楽しい未来はないような気が僕はするんですよね。それよりもやっぱり、病んだ人たちがどうやって主体性を回復していくか、どういった診療をしたら主体性の回復の助けになるかってことですよね。だって誰も病気になりたくてなってるわけではないんだから。誰だってなり得るし。押し込めて管理してハイ終わりってするんではなくって、その人たち本意で医療をするなり看護をするなりっていう方が、効率的にも優れたアプローチだと思うんですが。 あ、あともうひとつ。精神障害者が危ないっていう考え方、本当はあれも幻想で、精神障害者の犯罪発生率と障害のない人の犯罪発生率を比べてみると、統計的には(障害の)ない人の方が高いんですよね。そのことも全然知られていなくって。

どうしてそんな風に誤解されているのでしょう。

それはね、こないだのインフルエンザ騒動と同じですよ(笑)毎日「どこどこの誰が感染しました」ってニュースで聞いていると、いっぱいかかっているって思っちゃうんですよ。それで皆不安になるわけでしょ。

どうしてもニュースなんかで見ていると、不安になってしまいますよね。

そう。でも現実に知っています?(インフルエンザに)なった人。僕、まわりに誰も居ないですよ。僕はNYから来ているんですが、NYはもっとすごいことになっているって思うでしょ?僕が住んでいるクイーンズの高校でも発生しているんですけれど、ひとりも感染者を個人的に知らないですよ(笑)これ、メディアの恐ろしいところでね。メディアってものは、何かあったときにしかニュースにしない。何もなかったら取り上げないんですよ。だから、メディアに出てくるものを、そのまま現実だと思ってしまったら間違ってしまうんですね。精神障害者が危ないっていうイメージは、それにすごく関係があって、誰かが犯罪を犯す度に必ず精神鑑定の話題になるでしょ。そればっかりやっていると(精神障害者って)危ないんじゃないかなってイメージがどうしたってついちゃいますよね。

次回作も観察映画ですか?

そうです。もう撮影が終わっていて。劇作家の平田オリザさんと、彼の劇団です。

被写体を決められるときは、インスピレーションですか?

自分が興味があるものですね(笑)

INFORMATION

著書「精神病とモザイクタブーの世界にカメラを向ける」(中央法規出版)

INTERVIEW

  • 想田和弘[Kazuhiro Soda]
    映画監督
    1970年、栃木県足利市生まれ。1993年からNYに在住、劇映画やドキュメンタリーを制作し、現在に至る。1997年、学生時代に監督した短編映画「ザ・フリッカー」がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞にノミネートされる。1996年には長編「フリージング・サンライト」がサン・パウロ国際映画祭・新進映画作家賞にノミネート。1995年の短編「花と女」はカナダ国際映画祭で特別賞を受賞した。これまでにNHKのドキュメンタリー番組を合計40本以上演出、中でも養子縁組み問題を扱った「母のいない風景」は2001年、テリー賞を受賞した。観察映画第1弾のドキュメンタリー映画「選挙」(2007年アステア配給)は、ベルリン国際映画祭、シネマ・ドゥ・レエル、香港国際映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画際など世界中の映画祭に招待され、英BBC、米PBS、NHKなど約200カ国でテレビ放映された。アメリカではピーボディ賞を受賞。日本では、参議院選挙の直前に全国で劇場公開され、話題を呼んだ。観察映画第2弾「精神」(2008年アステア配給)は、釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。他にも、マイアミ国際映画祭、香港国際映画祭、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で受賞した。また、ベルリン国際映画祭など、世界中の映画祭から招待が殺到している。現在、劇作家の平田オリザ氏と青年団を被写体にした観察映画第3弾「演劇(仮題)」を制作中。 東京大学文学部宗教学科卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒(NY)。

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