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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2009.9.30 Wed

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vol.10 中江裕司

映画監督

INTERVIEW

  • 中江裕司[Yuji Nakae]
    映画監督
    1960年 京都府生まれ。1980年に琉球大学農学部入学とともに沖縄へ移住。琉球大学映画研究会にて多くの自主映画を製作。1992年、沖縄県産映画3話オムニバスの「パイナップル・ツアーズ」の第2話「春子とヒデヨシ」を監督し、日本映画監督協会新人賞を受賞。1999年には大琉球ミュージカル映画「ナビィの恋」を監督。地元沖縄では18万人を動員し、「タイタニック」を抜く県内の最多動員を記録したほか、全国的に大ヒットとなる。続いて2002年「ホテル・ハイビスカス」で沖縄の風土と子供の世界を活き活きと描き、ベルリン国際映画祭に出品され国内外で評価を得た。2003年には石垣島の楽団のドキュメンタリー「白百合クラブ・東京へ行く」を自主制作し大きな反響を呼んだ。映画以外にも数多くのTVドキュメンタリー、ミュージッククリップ、CFなどで活躍。また2005年に閉館した映画館を「桜坂劇場」として復活させ運営する経営者としての顔も併せ持つ。最新作にBEGINの高校時代を描いた映画「恋しくて」(2006)、3人のミュージシャンを追ったドキュメンタリー映画「40歳問題」(2008)がある。

TEXT BY

STAFF
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彼女、映画の中で本当に顔が変わっていくんですね、後半にいくにつれて。

構想から撮影まで、どのくらい時間をかけられたのでしょうか。

実は僕の知らないところでものごとが進んでおりまして(笑)3年くらい前、僕が「恋しくて」という映画の撮影と準備に入っているときに、うちの奥さんとプロデューサーがなぜか秘密で脚本を進めていました。「恋しくて」の撮影が終わったときに「はい、これよ」と渡されたのが「真夏の夜の夢」の第一稿でした。そこから僕が入って脚本に手を入れていったかんじですね。3年くらいでしょうか。

監督がつけ加えられた点はどのようなことですか?

キジムン(映画に登場する人間の守護霊)の存在が僕の中ではとても大きく重要なものだったのですが、マジルー(蔵下穂波さん演じるキジムン)をどのように作品の中で活躍させるかということが、僕が一番(脚本に)手を加えた点ですね。

主人公を演じられた柴本幸さんは、当初から決められていたのでしょうか。

そんなことはないですよ。何人かユリ子役に候補があがっていましたが、その中で一番柴本さんが気になりました。僕は実際に会わないと決められないんですね。会うとわかるんです。彼女は普段、古風だったりおとなしかったりする役をされていることが多いんですけれど、お会いした時にすごく野生というか、動物性のようなものを感じて。ユリ子は島の子供という設定なので、そういった野生みたいなものがないと演じられないと思っていたので、「あ、これなら柴本さんでできそうだな」と思い、お願いしました。

彼女はすごく綺麗なイメージというか、これまであんな柴本さんを見たことがなかったのですが、ファンになってしまいました。

「掃き溜めに鶴だから」と言って撮っていました(笑)青年会のみんながぐしゃ〜っとしたかんじなので、その中に凛と立ってくれ、と。浮いてていいから。ただ、映画が進むにつれて、僕としてはユリ子に変わっていってほしかったんです。島という場所に同化していくし、マジルーといっしょに育っていくような存在になってほしいと言っていましたね。彼女、映画の中で本当に顔が変わっていくんですね、後半にいくにつれて。それは僕にとっては神秘的で面白くて。ある意味これは、柴本さんのドキュメンタリーのような映画にもなっていると思います。

自分が社会に対して貢献をしない限り、きっと楽園はやってこないのだと私は思います。

〈島が人を変える力〉ってどのようなものなのでしょう。

表面上だけではやはり生きていけないんです。本音でやらないといけないというか。モノもないし、そこには島=土地があるだけなので。常に〈自分は何者か〉ということが問われますし、自分がこの島に対して何ができるか、もしくはやっている仕事において自分は何ができるかということが問われていくんですね。そしてそれを真剣にやらないといけないということに気づいてしまう。そこに対して真正面からきちんと仕事ができるか、もしくはできないか。できない人は変わらないし、島では駄目になっていきますよね。気づいた人は、やはりどんどん顔つきも変わっていきますし、島でやっている仕事が非常に面白いものになっていく。〈自分が問われる場所〉だと思いますね。逃げ場がないんですよ、喫茶店もないし(笑)

楽園ではなく、ある意味厳しい場所なのでしょうか。

楽園というのは厳しい場所だと思います。自分がそこを楽園にしなきゃいけないわけですよ。楽園というのは、全部を与えられるものではなくて、自分が社会に対して貢献をしない限り、きっと楽園はやってこないのだと私は思います。

誰かが必要としてくれると思っていないと生きていけないですよね。

作品を拝見し、子供の頃には見えていたのに大人になったら見えなくなっているものがそう言えばあったなと改めて思いました。映画に出てくる〈キジムン〉を通じて監督が伝えたかったことは何でしょう。

キジムンは木の精なんですけれど、本来は見えないものなんですね。見えないものが共にいる、共に一緒に生きているということが沖縄の人にとっても、実は日本人にとっても、とても重要で大切なことだったはずなんですよ。でもモノがありあまる時代になって、そういったことを皆忘れていったと思うんですね。ただ、忘れているだけで決して失ってはいないと思っているんです。この映画がそれを思い出してもらえるきっかけになればいいなと思いながら作りました。

平良とみさんは今回、男役なんですね。

とみさんの〈かわいいおばあ〉はもう見たくないんですよ(笑)もちろんかわいいんですけれど、とみさんってそれ以上に素晴らしい役者さんで、もっといろんなことができる人なんです。こんなこともできるんだよというのを映画の中でお見せしたかったというのもありますし、今回のキジムンの王様、男役みたいな役も迫力があってできる人なので、それを是非やってほしかったというのが一番大きいですね。それとともに旦那さんの平良進さんに、女王様を。エキセントリックな役をやらせるととっても上手な人なんですよ(笑)

監督ご自身も、島でキジムンの存在を感じることはありましたか?

僕はないですけれど、ヤンバル本島の北部の方へ行くと、おばあちゃんなんかは今でも「見たことあるよ」「この辺にいたよ」「ここに足跡があったよ」と話していました。マジルー役の蔵下穂波は、以前「ホテル・ハイビスカス」の撮影中に、キジムンに頭をつっつかれたそうで、その日の夜には金縛りにあったと言っていました。金縛りはキジムンの仕業と言われているので。

キジムンは、何かお教えてくれる存在なのでしょうか。

何かを教えるというよりも、人間に一番近い、妖精や精霊の類いだと思います。

大人になった私たちには見えないのはどうしてなのでしょうか。

見ようとしていないんだと思います。必要がない。映画の中にも出てきますけれど、〈必要なきものは消え去るのみ〉。とても悲しいことなんですけれど、それが現実だったりもして。人間でもそうですけれど、誰かが必要としてくれると思っていないと生きていけないですよね。僕はほとんどマジルーの気分でいたので、マジルー視点になってしまうんですけれど、そんなことを思って撮っていました。

マジルーが脚本も書かせたし、マジルーが「ここはこう撮れ」みたいに言っている感じがあって。

原作のシェイクスピアの「真夏の夜の夢」を監督はご覧になったことがないそうですが、第一稿が上がってきた時点で既にタイトルは「真夏の夜の夢」だったのですか?

そうです、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の変型でした。うちの奥さんが当初書いていたものは、もう少し原作に忠実なかんじでした。もちろん既に舞台は沖縄の離島に変更されていましたけれど、僕が脚本に入ることでもうどんどん変化していって。僕はもうマジルーの身になっていましたので、マジルーについての部分が深くなっていきました。ただ、ずっと2年間くらい、マジルーの想いにとらわれていて。撮影が終わってもしばらくは抜けなくて、「三角山のマジルー」という本を書いたんですね。マジルーっていうのは600年前くらいから生きていて、その頃、琉球王朝時代の様子をその本の中では書いています。ずっとマジルーは生きているので、どんどん人に忘れられる悲しみを知っていたりだとか、自分の役割を探っていたりだとか… だいたいいつも脚本を書いていると、僕は登場人物の誰かの気持ちになっているんですけれど、今回はマジルーで。マジルーが脚本も書かせたし、マジルーが「ここはこう撮れ」みたいに言っている感じがあって。普通は撮影が終わればそれはなくなるんですけれど、(今回は)終わらなくって「もっと書け」みたいなのがあって、小説を書きました。

奥様はどうだったのでしょうか。

「私はマジルーはわからないから任せるわ」って言っていました(笑)

穂波は演技をしないんですよ。もうマジルーになっているんですよね。

マジルーを演じられた蔵下穂波さんについて教えてください。

まず現場に脚本を持ってこないんですね。「ホテル・ハイビスカス」の時もそうだったんですけれど、「持っていく意味がない」と。台詞は全部(頭に)入っているし、なんて言うんでしょう。多分、〈演技〉をするから脚本って必要なんですよね。穂波は演技をしないんですよ。もうマジルーになっているんですよね。穂波がやっているときだけ、マジルーは僕の中にはいなかったんです。穂波のところに行っていたはず。で、映画が終わってからまた僕のところに戻ってきたと思います(笑)穂波そのものでもないし、僕の作ったマジルーそのものでもないし、マジルーと穂波がいっしょになって、この映画のマジルーは出来上がっていると思います。彼女もマジルーになろうとしているわけではなくて、既に(マジルーに)なっていて…なりきっているわけですよ。演技をする必要がないので脚本もいらないんですよね。例えば台詞を間違えたとするじゃないですか、普通の役者さんだと台詞を間違ったと思って〈素〉に戻るからNGになるわけですけれど、穂波の場合はマジルーのまま言い間違えているんです。そうすると「マジルーも間違えることがあるよな」と思ってNGがないっていう(笑)マジルーになったままなので、穂波の〈素〉はきっといないんでしょうね。ちょっと不思議な女優さんです。

普段の蔵下さんはどんな方なのでしょう。

普段がわからないんですよね。女優さんって、普段がよくわからないんですよ。例えば平良とみさんがどういう人?って言われても、うーん…どこまでが芝居していてどこからが普通?ってわからないんです。穂波も似たようなところがあって、ちょっとシャイなんですけれど、僕には普段の姿を見せないかも。

監督の前ではずっとマジルーだったのですね。

そうですね、僕も「僕の前ではマジルーでいなさい」と言っていましたね。撮影のあと自分の部屋に戻ると、口を開けてポケーっとテレビを見ているみたいで、スタッフからは「あの姿は絶対に監督には見せられない」って言っていました(笑)

人間の関係も、そういうのが一番いいじゃないですか。

「思い出さずに、忘れないでいておくれ」というマジルーの言葉がとても印象的でした。

これは(脚本を書いた)うちの奥さんが書いた台詞なんですけれど、恐らく沖縄の民謡の「やすき節」の中のマイナーな一節なんだと思います。やすき節もいろいろな歌詞が入っていると思うので、やすき節かどうか正確にはわからないですが、日本の民謡の一節で「思い出さずに、忘れないでいておくれ」というのがあるんですね。それを聞いた時に、ものすごくいいなと思ったんです。人間の関係も、そういうのが一番いいじゃないですか。例えば昔、とっても好きだった女の子がいて、その子と別れてしまっていて、連絡も全然とっていないし思い出しもしないんだけれど、その子がとっても困っている時に自分が何かできることがあれば力になりたいっていう、そんな関係だと思うんですよ。何もなければ、もうそのまま死んじゃっていいというか。普段は全然思い出さずに別の場所で生きているんだけれど、どこかでまた何か縁があれば、やはりいっしょのこの世の中に生きているんだから、何かできることがあるかもしれないというのが、すごくマジルーとユリ子の関係に似ていて。すごくいい言葉を書くなと思いました。あ、ちゃんとうちの奥さんの台詞って書いておいてくださいね(笑)僕ね、自分も脚本書くでしょ?奥さんが書いた部分も、たまに自分が書いたと思い込み始めるんです。で、こういった取材の時に「あれはこう思ってこう書いたんだ」とか話すと、あとで「あれは私の書いた台詞ですから」ってすごく怒られるんです(笑)

この世の中に、娯楽があった方が楽しいじゃないですか。だから作っているんです。

撮影で苦労されたことはありましたか?

細かいことを言えばいろいろとあったのですが、そんなにはなかったかもしれないです。なんか、苦労があっちゃいけないと思うんですよね。すごく大変なことはいっぱいあったとは思いますけれど、苦労ではないです。僕は辛かったですけれど(笑)毎日毎日辛かったですよ。「もう嫌だ」って。自分の表現手段として映画を作っているわけではないんですね、僕は。この世の中に、娯楽があった方が楽しいじゃないですか。だから作っているんです。サービス業の一貫ですよね(笑)その割には、毎日追い詰められて、時間制限がある中で撮っていかないといけない。それはどんな仕事でもそうなんですけれど。 穂波もいっしょだと思うんですけれど、撮影中は僕も中江裕司という存在がないんですよ。〈監督〉という存在しかない。だから普段だったら言わないようなことも言えますし、それはある意味役者に対して残酷なことも言える。言わないといけないと思えばね。〈映画の僕(しもべ)〉になってしまうんです。映画が僕に対して「こうしろ」って言っていることを皆に伝える、というような。自分というものがないので、辛いです。ひとりになりたいとか、誰とも口を聞きたくないとも思うし。それと撮影中には撮休というのがあるんです。撮影をしない日。でも僕にはその意味がわからないんですよ。早く撮ろうよ、と。早く解放されたいわけですよ。スタッフは撮休がないと、次の準備が追いつかなくなるので困っちゃうんだけれど、僕はどうしても撮りたいんです。ひとりだけ、穂波はそれをわかってくれましたね。自分も撮休は要らない、と。ちょっとそのあたりでは共犯者だったと思いますね。ふたりとも自己を失っていたとから、早く撮影を終わらせて自分を取り戻したかったという(笑)

映画の撮影を通じてHAPPYなことがいくつかあったのだとか。

この映画の女性スタッフふたりが、島の青年と恋に落ちて、ふたりとも結婚してしまったんです。ふたりとも今、島に住んでいて、ひとりはオメデタになって。この作品が、子孫繁栄の映画でもあったのですごくうれしいです。もう1組、この映画の配給会社の方が今度結婚するそうです。配給の方は、撮影現場には来ていないんですよ。撮影現場で〈恋汁〉を浴びた人だけなのかと思っていたのですが、どうやらこの映画に関わった方にはすべて波及するみたいです(笑)

この映画を通じて、何を伝えたかったのか、監督の想いをお聞かせ下さい。

人間ってやっぱり、目に見えているものだけで生きているわけではないと思うんです。例えば人の気持ちも目に見えないですよね。目に見えない、ありとあらゆるものたちに囲まれて生きているのが本当だと思うんですけれど、それが今のこの物質現代社会においては、ないことにしていて、そのことが皆辛くなっていると思うんですよね。目に見えないけれど、そういうものが自分のまわりにはいっぱいあって、そいつらといっしょに生きているんだという感覚を失っていないと思うので、取り戻してもらいたいと思いますね。それ以外、人間が生きていく道はないと思うんですよね。

それはやはり、〈沖縄の島の力〉なのでしょうか。

逆に言うと、あんたはひとりじゃないんだよっていうことなんですよね。そういうことを僕は沖縄に行って、教え込まれました、骨の髄まで。あんたはひとりで生きているつもりかもしれないけどひとりじゃないし、誰にも影響を与えていないかと思っているかもしれないけどそうじゃないし、逆に影響を与えられてもいるし。いろいろなことが繋がっているんだと思います。それは、スピリチャル・ブームということではなくて、もっと当たり前のこととしてあるんだと思いますね。

INFORMATION

「真夏の夜の夢」
シェイクスピアの名作「真夏の夜の夢」を、オリジナリティ溢れる世界で描いた作品。沖縄の小さな島を舞台に、人間と精霊(キジムン)たちが織りなす、〈幸福〉に満ちた物語。 ©2009「真夏の夜の夢」パートナーズ

INTERVIEW

  • 中江裕司[Yuji Nakae]
    映画監督
    1960年 京都府生まれ。1980年に琉球大学農学部入学とともに沖縄へ移住。琉球大学映画研究会にて多くの自主映画を製作。1992年、沖縄県産映画3話オムニバスの「パイナップル・ツアーズ」の第2話「春子とヒデヨシ」を監督し、日本映画監督協会新人賞を受賞。1999年には大琉球ミュージカル映画「ナビィの恋」を監督。地元沖縄では18万人を動員し、「タイタニック」を抜く県内の最多動員を記録したほか、全国的に大ヒットとなる。続いて2002年「ホテル・ハイビスカス」で沖縄の風土と子供の世界を活き活きと描き、ベルリン国際映画祭に出品され国内外で評価を得た。2003年には石垣島の楽団のドキュメンタリー「白百合クラブ・東京へ行く」を自主制作し大きな反響を呼んだ。映画以外にも数多くのTVドキュメンタリー、ミュージッククリップ、CFなどで活躍。また2005年に閉館した映画館を「桜坂劇場」として復活させ運営する経営者としての顔も併せ持つ。最新作にBEGINの高校時代を描いた映画「恋しくて」(2006)、3人のミュージシャンを追ったドキュメンタリー映画「40歳問題」(2008)がある。

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