AFRO FUKUOKA [ONLINE] 福岡の今がつまったグッドライフマガジン

VOICE

VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2010.5.30 Sun

VOICE TITLE

vol.19 猪野秀史

ミュージシャン

INTERVIEW

  • 猪野秀史[Hidefumi Ino]
    ミュージシャン
    1970年7月26日、宮崎生まれ。ミュージシャン。2004年「1レーベル1アーティスト」という創作活動が隅々まで行き届いたサウンドプロダクションを志すプライベートレーベル「イノセントレコード」から自身の音楽を発信。活動開始から現在に至るまで、楽器演奏からプログラミング、ミックスダウン、 ジャケット等のアートワークも自ら手掛る。電子音、ストリートカルチャーに由来するビート、ロマンチックでメランコリックな音色に対するこだわりと音響への職人的アプローチが同居する、エレガントかつ攻撃的なサウンドプロダクションは、国内をはじめ海外でも高く評価され、幅広い層の心を揺さぶりながら浸透中。

TEXT BY

STAFF
AFRO FUKUOKA

福岡の情報ポータル&ウェブマガジン

10080

みんなで集まりそれぞれのレコードを聴きあっていて、文化的に熱かった印象がある。

以前福岡にお住まいだったと伺いました。当時と比べて変わったと感じることはありますか?

ここ10年程で随分と変わりました。僕が福岡にいた20代の頃は、クラブ全盛期のような時代だったから、みんなジュークレコードとかに行ってはレコードを買いあさりDJをしていましたね。みんなで集まりそれぞれのレコードを聴きあっていて、文化的に熱かった印象がある。それは音楽だけではなく、ファッションにしてもそうだった気がする。今は、様々なことがすごく細分化されてしまっていてよく分からなくなっていますよね。あと世代交代をしたのかな。ここにいる人たちが昔と全然変わった。

アパレル業界にいたこともあるそうですが、音楽とファッションとの関係性についてはどう思いますか?

僕は音楽とファッションは関わっていそうで全く別次元にあると思いますね。僕がいたA.P.C.というお店は、音楽のレーベルも作っていたりしていたからその関係で入社することになったんですよ。ストリートカルチャー、ストリートビート、ヒップホップという感覚の中にいたから、本格的なファッションというものについてはよく分からないですね。

今も昔の仲間には会っていますか?

はい。福岡でのライブが終わってからも会いました。だいたい20人位来てくれたかな、みんな来てくれて嬉しかったですね。

よく行く場所などありますか?

食べ物屋さんにはなりますが…だるまの天ぷら定食とか。どさんこは、よく行きます。あの店は美味しいし、働く人たちが好きなんですよ。接客がとても気持ちよくて、いい仕事してますよね〜。話しているとまた行きたくなりますね。あとで行こうかな。

このままの自分でいいのかなとすごく考えたんです。

福岡から東京に行かれた理由やエピソードなどあれば教えてください。

そもそも高校を卒業して宮崎から福岡に来る予定はなかったんです。東京にはじめから行きたいなと思っていました。たまたま福岡の予備校に行くことになり、TICROやその周辺の人たちと交流をしているうちに…気がつくと10年も過ごしてしまっていて。その時がちょうど先ほどお話したA.P.C.にいた頃なんですけど、このままの自分でいいのかなとすごく考えたんです。生活は安定していたし、友達もいっぱいいたから楽しかったんですけどね、自分では納得できてなかった。それで30歳になると同時に、1回決心をつけるつもりで仕事はないけれど東京に行こうと思いました。実際、30歳になるまでの2,3年はずっと一人で曲作りばかりしていました。東京に行ってからはすぐ知り合いのミュージシャンを介して大手のレコードレーベルに作品集を持っていったり、郵送したりしてアプローチしてみましたが、その当時僕のやっているようなインストゥルメンタルは受け入れてもらいにくく厳しい時代でした。

そこでご自分でレーベルを立ち上げられたんですよね。あと恵比寿にカフェを開いたんですよね?

そうそう、店を立ち上げて1年くらいたった頃、小西康陽さんがひょっこり現れたんですよ。小西さんとはそこからお付き合いがはじまり、実はレーベル名を考えてもらったんです。「イノセントレコード」のネーミングは、一緒に食事にいって、「レーベル名何かいいのないですか?」とお尋ねしたら、「フランス語でイノサンレコードって書いてイノセントレコードってどう?」って。シャレから生まれました。あの人の存在というのは、僕にとっては大きいですね。

自分の作る音に隅々までできるだけ携わりたいと思うんです。

本格的に音楽をやりたいと思ったきっかけは何ですか?

ピアノを5歳から習っていました。でも何でだろう…クラブに行っていたことかな。最初に行っていたクラブがどこかは忘れましたが、福岡ではよくクラブに行きました。当時は今と違ってネットワークの手段が少なかったから、クラブが情報源となっていました。もちろん音楽を聴くことが目的で行ってるんだけど、ファッションや本、映画とか、そこでしか得られない情報があったと思う。そこでどんどんコミュニティーができていったというか。パンク・ロックやハウス、レゲエ、ヒップホップ…本当に様々なジャンルの人が一つのテーブルを囲んで情報交換をしていた。そこには隔たりとか全くなくて、今考えるとすごく特殊な場所だった気がします。

メジャーからのお誘いもあったのでは。

1枚目のアルバムを出したときは結構ありました。ただ個人的にメジャーに対して疑問を感じることが昔も今もあり、別に批判をするわけではなく自分の作る音に隅々までできるだけ携わりたいと思うんです。自分のやりたい音楽のクオリティーやジャケットひとつにしてもこだわり続けたい。全てをやりきってこそ自分のプローモーションが完成する。そのコントロールが利きづらくなるんじゃないかなという気がして。僕は、まだ器用にやりこなす力はないから、1レーベル1 アーティストでクオリティーを保つことに専念しています。僕からリスナーに届くまでの間に色々な人が関わりだすと純度が薄くなってしまうと思うから。そこだけは、まだちょっと突っ張っていこうかな、別にメジャーじゃなくてもいいでしょ、今の時代はきっと。

INOCOLOGY TOURの感想をお聞かせください。

福岡でのライブは1年ぶりでしたが、自分としてはすごく気持ちよくやれました。今回は、昨年3rdアルバムを発表して以来のライブだったから、音がどういう風に再現されるというのをすごく集中して聴かれているような…会場からの圧力みたいなものを感じとりながらやりました。

挑戦的に前に進んで行くことのほうが、自分としてはすごく興味がある。

猪野さんのライブは、アルバムよりもロック色が強いというか激しい印象があります。

ライブを見た人からは、「CDとは全然違う」という声をよくいただきます。それと昔の作品を知っている人が聴いたら、今日はまた僕の印象ががらっと変わったんじゃないかなと思います。これまで作った自分の作品に対し、お客さんに応えるためだけのことをする、というのはすごく簡単なことだと思うんですね。ただ同じところに留まるということよりも挑戦的に前に進んで行くことのほうが、自分としてはすごく興味がある。自分に正直に、自分がやりたい音楽を作っていきたいし届けたいと思う。

アルバム「INOCOLOGY」についてお聞かせください。

今回のアルバムは、日本人の感覚にある「間」から日本人らしさというか自分のルーツを探りました。出身は宮崎なんですが、高千穂に行ったとき体で感じたイメージを音にしました。そういった感覚的なものを音に表現することを大事にしてつくりましたね。あとレコードをたくさん聴いていた頃からずっと尊敬している細野晴巨さんの「omni Sight Seeing」というアルバムにはすごく影響を受けています。いつかomni Sight Seeingのような作品を作ってみたいなと思っていました。

今後やりたいことってありますか?

やりたいことは何だろうな〜そういうことはあまり考えないようにしているんですよね。明日の朝ご飯を考えないようなことと一緒で、何となく感覚的に考えないようにしてます。地元の宮崎や福岡に、何らかのかたちで貢献できるようになりたいなとは思っています。

音楽をとおして伝えたいことはありますか?

何かアクションを起こすきっかけになれればいい。僕にできることは、現状に喝を入れることというか…精神的な刺激になればいいなとは思っています。

INTERVIEW

  • 猪野秀史[Hidefumi Ino]
    ミュージシャン
    1970年7月26日、宮崎生まれ。ミュージシャン。2004年「1レーベル1アーティスト」という創作活動が隅々まで行き届いたサウンドプロダクションを志すプライベートレーベル「イノセントレコード」から自身の音楽を発信。活動開始から現在に至るまで、楽器演奏からプログラミング、ミックスダウン、 ジャケット等のアートワークも自ら手掛る。電子音、ストリートカルチャーに由来するビート、ロマンチックでメランコリックな音色に対するこだわりと音響への職人的アプローチが同居する、エレガントかつ攻撃的なサウンドプロダクションは、国内をはじめ海外でも高く評価され、幅広い層の心を揺さぶりながら浸透中。

OTHER VOICE

その他の記事