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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

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  • 2012.4.1 Sun

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vol.29 原田眞人

映画監督

INTERVIEW

  • 原田眞人[Harada Masato]
    映画監督
    1949年、静岡県出身。原作の井上靖氏は、静岡県立沼津東高等学校の先輩にあたる。79年『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。95年の『KAMIKAZE TAXI』は海外でも高い評価を受け、その後『金融腐蝕列島・呪縛』(99)、『突入せよ! あさま山荘事件』(02)、『クライマーズ・ハイ』(08)等、話題作を立て続けに送りだす。社会派作品のみならず、『伝染歌』『魍魎の匣』(07)などエンターテインメント性の高い作品も手掛ける。07年からは、日本大学国際関係学部教授として教鞭をふるう。

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人生の出来事ひとつひとつに、意味を解く。

震災後、日本人は人との絆を重視するようになった。そもそも、昔日本人は家族を大事にするものだったはずなのだが、いつの間に家族のいる風景にホッと胸を撫で下ろすことも少なくなったのだろうか。今回の取材を機に、昭和の文豪・井上靖の自伝的小説「わが母の記」に出あい、私は生きる力となる家族の愛について改めて考えてみたいと思った。また映画に映し出される、趣のある井上氏の実家や書斎、当時の言葉を使った会話についても興味を持った。このように本作は、物語だけではなく、まるで昭和にタイムスリップしたかのような時代描写も魅力のひとつ。
今回は、来福した原田監督に井上靖作品の魅力についてじっくりお話を伺った。

小津安二郎監督の映画「東京物語」とは、真逆の親子の話だなと思いました。

原作を読まれた際の率直な感想を教えて下さい。

僕は、「わが母の記」を、50歳過ぎてから初めて読みました。最初の感想はというと、人間関係に感動したのはもちろんですが、3つのロケーションさえ押さえることができれば必ず映画になると思いました。作家の世田谷区の自宅と作家の故郷である伊豆・湯ヶ島、そして軽井沢の山荘。その3箇所が、美しくバランスよく撮ることができたら絵になると思いました。だからロケーションありきという感じが、僕には強かったですね。それともう一つは、小津安二郎監督の映画「東京物語」とは、真逆の親子の話だと思いました。

ロケーションへのこだわりは、映画を観るとよく分かりました。

10年前、僕がこの作品を映画にしたいといっても、周りは興味を示しませんでした。2006年、伊豆である「あすなろ忌」という、年に一度開催される井上靖追悼イベントで、僕が講演したことから井上家との交流が生まれ、井上先生の娘さん(長女)と親しくなり、世田谷区のご自宅を見ることができたことで、改めてこの家を使えれば映画は成功すると思いました。家を再現するのは、不可能でしたから。家の中では、特に居間の素晴らしさに圧倒されました。まるで、映画「2001年宇宙の旅」のような頭脳空間なんです。それ以来、何としてでもこの家を撮りたいと思うようになりました。僕は、いつでも俳優のキャスティングと同じ位ロケーションにはこだわる方なのですが、井上先生の家は、これまでの中でもダントツに重要な空間だと思います。それから井上家との交流は長く続き、「もし映画化する時は、お宅使わせてもらえます?」とか、徐々に徐々に口説いていきましたね(笑)。最初からNOではなかったですけど、5年かかりました。やはり、時間が必要だったと思います。

制作前に家の取り壊しが決まったと聞きました。

そうですね。2010年の夏、翌年の5月に取り壊すということが決まってしまいました。タイムリミットがあり最終的には慌てましたが、2011年の3月10日にクランクアップしました。その翌日が、東日本大震災でしたから、何というか今しか撮れなかった作品なんだと感じました。

「昔の父が生きている時を思い出しました」といってくれました。家が活気を取り戻したと感動されていました。

井上家の方々はどの空間に思い入れがあったのですか?

井上家の方々は、家全体にすごく愛着を持っていました。映画制作に伴い美術スタッフが、総勢60名位で訪問した時、その人数の多さに驚きながらも、井上家の方々が、「昔の父が生きている時を思い出しました」といってくれました。生前の井上先生は、何かお祝い事がある度に、月一位のペースで、みんなを集めていたそうです。スタッフが撮影している風景を見ながら、井上家の方々は、泣いていましたよ。家が活気を取り戻したと感動されていました。

樹木さんは、役を演じるにあたって、しっかりとしたコンセプトを持っている人です。

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俳優のキャスティングについてもお聞かせ下さい。

役所さんは、最初に本を読んだ時から決めていました。僕の中で、映画「東京物語」の真逆の話をイメージしていたから、小津作品でいうと、家長を演じているといえば、笠智衆さんか、一方では、佐分利信さん。笠さんは素朴、佐分利さんは風格があり厳格なところがいいんです。そこで役所さんは、この映画に必要などちらの人格もできる。それで、最初から彼なしではこの映画は考えられませんでした。ただ、おばあちゃん役を選ぶのは難しかった。個人的には、もっと役柄と年齢の近い人をイメージしていたんですが、周りから様々な意見があり、ある時樹木希林さんはどうかと意見がありました。その時は、若い人が歳をとった役を自然にできるかと悩みましたが、樹木さんとお会いしたらその考えが一変しました。樹木さんは、まず「このおばあちゃんは健脚ですね」と。「私が、年寄りの役をやるとしたら、まだ68歳ですが、特殊メイクで表現するのは嫌です。役は、自然にやりたいといわれました。また年寄りは、体を縮ませることで表現できるからともいわれました。さらに歳を重ねた時には、自分が入れ歯だからそれを外しますと。それを聞き、もうこの人しかいないと思いました。あと衣装合わせの時、我々が色彩的な所も考慮して、全体の衣装コーディネートをしていると、樹木さんが「それもいいけど、私持ってきたの」と、自前の衣装を沢山見せてくれました。細かいことを全部は話してくれませんでしたが、全部が樹木さんの思い入れのある衣装だったんです。ここでは、これを使いたいと思いました。樹木さんは、「八重さんは、着物をとっかえひっかえする人ではなく、歳をとってから同じものを着続ける人でしょう」と。樹木さんは、役をやるにあたり、しっかりとしたコンセプトを持っている人です。

個人的には、キムラ緑子さんの演技にグッときました。

彼女は、前からずっと一緒にやりたかったんですが、舞台が忙しくて。今回、最初は役所さんの奥さん・ 美津役で考えていたんですが、ロケーション撮影のスケジュールと都合が合わず、姉の志賀子役をお願いしました。じつは、当初の台本より志賀子のシーンを広げています。まあ、それ位キムラ緑子さんは素晴らしい女優です。

役所さんが、晩年の黒澤明監督の口調にすごく似ていて驚きました。

監督が印象深いシーンはどこですか?

自分が描いたイメージと違ったという意味でインパクトがあったのは、役所広司さんと宮﨑あおいさんが、父と娘で、父の幼少期について話すシーン。役所さんが、「お父さんが最初に感動した絵本は〜」と、育ての親であるおぬい(曾祖父の妾)との思い出話を始めるんですが、その会話の語尾の優しさとか響きが、 晩年の黒澤明監督の口調にすごく似ていて。僕が映画をつくるにあたり、いろいろと教えていただいた黒澤監督に、役所さんは会ったことないはずなんだけど…。僕が、演技指導をしたわけでもないから驚いたし、あのシーンの宮﨑さんの表情もすごく良かったから好きです。

モントリオール世界映画祭をはじめ海外での反応はどうでしたか?

本作は、上映初日から連日1000人程度の観客が来てくれました。この数は、これまでの日本映画の受賞作品の中でも多いようで、やはり井上靖先生の本は海外でも多くの方に読まれているのだと実感しました。「わが母の記」は「猟銃」と並び、欧米では井上作品で一番読まれているものです。また、作品の魅力のひとつでもある”ユーモア”が、海外の方々に受け入れられた気がします。単なる日本映画ではないというか、欧米では、笑って泣ける映画が喜ばれるのだと思います。テンポだけではなく、どこか客観的に、ある種ドライともいえるような内容が人々に共感されたと思います。センチメンタリズムによりすぎた映画は、観客から引かれてしまう。

良いものは、過去にいっぱいあると思うので、そのことを知るきっかけのひとつとなれればと思います。

最後に。どんな人に観てほしいですか?

僕は、5年間大学で教えているんですが、二十歳前後の若者に、井上靖のことを知っているか聞いても全然知りません。スタインベックもヘミングウェイも知らない…。映画監督は?と聞いても誰も知らないんですが、鑑賞方法のちょっとしたヒントを与えてから観てもらうと、ものすごくいい感性を持っていることが分かります。例えば、「波止場」という映画やジョン・フォードの作品など趣向の違うものをみせても、良い反応がある。古典や過去の文化遺産などを知る機会、教育や家庭から受け継ぐことがなかっただけで、若い人達はどこか、「自分達はこれでいいのか?」と疑問を持っていると思います。そんな人達に、この作品を観てもらいたいです。また、これを観て母親を思い出すのと同時に、かつての日本映画をつくった小津監督とはどんな人だろう?とか、井上靖の他の作品に興味を持ってもらえたらいいですね。そんな風に過去に自分らしい答えを探してもらえたら嬉しいです。良いものは、過去にいっぱいあると思うので、そのことを知るきっかけのひとつとなれればと思います。

INTERVIEW

  • 原田眞人[Harada Masato]
    映画監督
    1949年、静岡県出身。原作の井上靖氏は、静岡県立沼津東高等学校の先輩にあたる。79年『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。95年の『KAMIKAZE TAXI』は海外でも高い評価を受け、その後『金融腐蝕列島・呪縛』(99)、『突入せよ! あさま山荘事件』(02)、『クライマーズ・ハイ』(08)等、話題作を立て続けに送りだす。社会派作品のみならず、『伝染歌』『魍魎の匣』(07)などエンターテインメント性の高い作品も手掛ける。07年からは、日本大学国際関係学部教授として教鞭をふるう。

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