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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2013.3.1 Fri

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vol.44 箭内道彦

クリエイティブ・ディレクター

INTERVIEW

  • 箭内道彦[Yanai Michihiko]
    クリエイティブ・ディレクター
    1964年、福島県郡山市出身。東京芸術大学卒業後、博報堂に入社。2003年に独立し「風とロック」を設立。主な仕事に、タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、ゼクシィ「Get Old with Me.」、東京メトロ「TOKYO HEART」「TOKYO WONDERGROUND」「We are the Tokyo Navigator」、サントリー「ほろよい」、ケイリン、グリコ「ビスコ」、桃屋「辛そうで辛くない少し辛いラー油」など。2010年、福島県出身である山口隆(サンボマスター)、松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET)と共にバンド「猪苗代湖ズ」を結成。2011年3月にチャリティソング『I love you & I need you ふくしま』を発表した。2011年9月に福島県内6ヶ所で開催した「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」にて実行委員長を務め、現在もその活動を続けている。

TEXT BY

STAFF
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東日本大震災から半年後の2011年9月、福島を6日間かけて横断したロックフェス「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」。その「LIVE福島」の全国ツアー「風とロック LIVE福島 CARAVAN日本」がとうとう長崎にやって来る。今回は、この「LIVE福島」を手がけるクリエイティブ・ディレクター、箭内道彦さんにお会いし、日本を代表する箭内さんのクリエイティブのことや、ご自身の故郷でもあり、震災により深刻な被害を受けた福島のこと、そしてLIVEやドキュメンタリー映画の制作について、じっくりとお話を伺ってきた。

アマチュアリズムの純粋さを持っているプロフェッショナルな仲間たちとだから面白いものが作れるんです。

箭内さんのクリエイティブは、制作関係者のメンバーの顔や名前がしっかりと出て、チームで一緒に作り上げているというイメージがありますが、仕事で大事にしていることは何ですか。

仲間たちと広告を作っているというのはまさにそのとおりですね。ひとり広告代理店だとか、一匹狼だとか散々言っては来ましたけど(笑)、自分で照明をあてることが出来るわけでもないし、録音ができるわけでもない。その上で、一緒に制作物を作り上げていく仲間がいるということは、すごく大事なことです。

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まず、僕の広告の作り方の一つに、その場で起きる奇跡を逃さないようにするという考え方があるんです。計画してその通りのものを撮って終わりじゃなくて、その日その瞬間じゃなければ起きないことを見落とさない。よく、”まぐれを捕まえろ”と言ってるんですけどね。僕自身、そういう作り方が好きというか、その強さを信じているので。これをやろうとすると、優秀なスタッフじゃないと難しい。「あ、今奇跡起きた!」と言うと、すぐにカメラを回せたりね。 あとは、突然違うことをしたくなっちゃったりするので「はい、終わりました!」って言ってから、急に別のシーンを撮りたいなと思っても、やっぱりいつも僕を支えてくれている、僕が甘えられる仲間じゃないと、怒られちゃいますよね(笑)。 そういう、その場の閃きや発見を許してくれて、面白がってくれるスタッフというと、だんだん固定メンバーになってくるんです。逆に、気心が知れてくることによって、余計シビアになってしまう部分も出てはくるんですけどね。 でも、集まってくれるメンバーに共通するクリエイティブへのスタンスって、すごくクオリティの高いクラブ活動っていう感じなんです。言うなれば、プロ学生。アマチュアリズムの純粋さを持っているプロフェッショナルな仲間たちなんですよ。だから、僕が作ったものに対して、若い人たちがワクワクしてくれているとするなら、きっとそこの部分なんだと思います。仕事を、仕事としてだけやってないというか。好きなことだけしかやってない人たちが生み出したものへの共感と言うか。

仕事を共にされている方たちとの出会いについて、そして一緒に仕事を続けていくこととなるきっかけなどはあるのでしょうか?

出会いということであれば、運命だったり偶然だったり、もちろんたくさんあるんだけど、いろんな人たちと仕事をしていくなかで、最終的には、常に笑顔で仕事をしてくれた人たちだけが残っているという感じですね。現場で怒り出したり泣き出したりすることで逃げちゃう空気って絶対あって。そんな現場からは、いいものは生まれないんじゃないかと思うんです。 あとは、僕を見放さないでいてくれた人だけですよ、残ってるのは。見捨てられてもおかしくないようなことばっかりやってるわけですから(笑)。やり直したいとか、もう一回やりたいとか、急にあれやりたいとか、これをもっとでかくしたいとか。それでも、僕が「次はこんなことをしたいんだ」って言ったら、みんな「面白いですね、やりたいですね」って言ってくれるんですよ。支えてくれている人たちの苦労というのはとてつもなく大きいと思います。だからこそ、感謝していますね。

「風とロック」のこれまでの活動について教えて下さい。

フリーペーパー「月刊 風とロック」は、今年の2月に出した号で、ちょうど90号目なんです。なので今年の12月には100号の節目を迎えます。この前、大阪のラジオで「箭内さんはどう褒められるのが一番嬉しいですか?」と聞かれたのですが「わかんない!って言われたい」って答えたんですよ。なぜ広告を作ってる人間がフリーペーパーを出すのかがわかんない。なぜ赤字を叩くものをずっと出し続けているのかがわかんない。それは僕にもわかんないんです。でも、わかんないことをやり続けているって、”わかる”ことを一番の基準にしている人にとっては脅威だと思うんです。”わかんない”ことを面白がっている僕らからすると楽しいことなんですけどね。多分、このフリーペーパーを90号、100号と出してなかったら、フェラーリとか、福岡にマンションとか買えてると思うんですよ。でも、それを上回る楽しい毎日を送れたり、若い人が喜んでくれる他所で見たことない写真なんかを毎月毎月発信できる楽しさっていうのは、何物にも代えがたかったんだなと、今になって改めて思ったりもします。

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また、「風とロック」は、フリーペーパーの名前であり、僕の会社の名前であり、ラジオの番組のタイトルであると同時に、ロックフェスのタイトルでもあるんですよね。もともとは2006年に東京のクアトロで、とにかく自分が見たいだけのフェスをやろうと思って、好きなアーティストだけを集めてやったのが始まりだったんですけど、それが2009年から僕の生まれ育った福島で開催することになった。福島でやるべきだってミュージシャンたちも言ってくれたし、僕もそう思ったし、福島の人たちもそれを求めてくれた。福島で「風とロック」というと、今では県内でも有名なのロックイベントの名前になっているんですよ。

サンボマスターの山口隆とバンドやってたんです。歌ってたのは、福島が嫌いだって歌なんですけど(笑)。

出身地の福島でいろいろな活動をされるきっかけとなったのは何だったのですか?

福島民報という新聞社の、創刊115周年特集号のディレクションを手がけたことですかね。さっき話した「風とロック」のフェスを福島に持っていった1年前。2008年でしたね。それまで、福島の仕事は全部避けてたんですよ。まあ、まず呼ばれてなかったってのが正直なところなんですけどね(笑)。 そもそも、僕と同じ福島出身の、サンボマスターの山口隆と二人で「ままどおるズ」というバンドを作って活動してたんです。福岡で言うなら「ひよこズ」とか、「マルタイラーメンズ」みたいな感じかな。それで、「福島には帰らない」という歌を歌ってて。まあ、内容も、福島が嫌いだって歌なんですけど。東京が大好きだぜって(笑)。近所の家の悪口や、つらいうわさ話に、僕ら疲れたって歌詞なんです。実際、そんなことばかり言ってるんですよ、みんな。そして、遠慮してるふりして、なんにもしない人たちに思えた。それをまさに自分の中にも感じて、その葛藤を歌ってたんです。そしたらそれが僕の特集をしてくれた回の情熱大陸で放映されて。その時は、2ちゃんには「箭内、歌を歌うのはやめろ」って書かれたりもしたんですけど(笑)、番組をたまたま見ていた福島民報のある男が、「この人に福島で何かをやらせるべきだ」と思ったらしく、うちの会社にノーアポで来たんですね。当然それまでどおり、僕は福島では何もする気はございませんって断ったんですけど、ものすごくねばりっこくて、しつこい男で(笑)。その人に、115周年の記念特大号として福島を元気にする11面の新聞をディレクションして欲しいと頼まれました。その熱意に押されて「じゃあ僕のやりたいものにしてもいいんだったらやってもいいよ」と言って仕事を受けたんですね。 そして、その特集で福島の人たちに向けた、自分なりのメッセージを込めて「207万人の天才。」とタイトルをつけたんです。ホントはみんな天才なのに、自分で殻を作ったり、自分の天才ぶりに気づいてないだけなんじゃないかと。みんなのなかに眠っている天才を呼び覚ますのは今だって、ポジティブな言い回しでメッセージを送った。それが県内で、ものすごく反響があったんですね。それならもっと、若い人たちの目の前で、僕らが想いを伝えたり、歌を歌ったりすることが必要なんじゃないかと思ったんです。僕のように、殻を破るまでに時間がかかった人間が一人でも減ったらいいなと思ったのが大きな理由ですね。 でもその後も、福島が嫌いだって歌をさらに作り続けてました。そんな時に、福山雅治さんとお話する機会があって、福山さんに出身地の長崎のことをどう思ってるんですかって聞いてみたんです。そしたら、「自分が出来ないことを、全部長崎のせいにしてた」って。悪いのは長崎のせいにしていた自分なのに、そう気がついた瞬間があったって言われて。もう、僕としてはアイタタタ…って思った。引っ込み思案で、なんかハデなことをしている人の文句ばっかり言ってる自分は、郷土の福島に生まれたせいでそうなってしまったって思っていたんだけど、それは、ただただ自分自身の問題だったんだなって気がついて、ちょっとずつ福島との距離が変わっていった。だから5年前の自分だったら、『I love you & I need you ふくしま』なんて歌えないですよねホント(笑)。昔の自分には見せられないです、そんな手のひら返しのような大人の態度。でもやっぱり今思うのは、表裏一体というか、嫌いは好きの裏返しというかね、ほんのちょっとのことで裏返って、表出してくるものなんだなっていうのは思いました。

確かなことなんて何もなかった福島に、約束をしたかったんです。

「LIVE福島」を開催されたのは震災から約半年後でした。開催までの経緯を教えていただけますか?

まず、震災後3月に猪苗代湖ズの音源をリリースして、配信をスタートしました。当初、レコード会社もなければ、宣伝部長もいない状態だったので、今まで培ってきた広告のテクニックと人脈を、それはもう使いまくって、とにかく僕がずっとプロモーションをしました。そして、やっと4月の頭に物資を持って福島の避難所を5ヵ所、訪問することが出来ました。でも、その5ヵ所をまわり終わった時に「誰も、何も約束してくれないな、福島に」って思ったんですよね。いつ避難所から帰れるのかとか、いつ放射能が収まるのかとか。確かなことなんてなんにもなかった。そんな時に、何か約束したいなって思ったんです。しかも、そんなの出来るの?っていうくらいの、大きな約束をしなければいけないなと。そして、イベントの開催を決めました。ただ、やるんだったら、ちゃんと日本や世界にメッセージが伝わるイベントにしないといけないと、総合プロデューサーを務めた弊社の平井が、企業からお金を集めるために動きだしました。と、同時並行で出演者への交渉も始めたんです。 ミュージシャンたちも、いいよいいよって、すぐ二つ返事で集まってくれたかというと、当然そうじゃなくて。まず、6日間の開催ですから、スケジュールが6日間も連続で空いてるミュージシャンなんていないし、体力的な負担、喉への負担も相当大きいですよね。そんななかで、怒髪天と高橋優が、いち早く6日間スケジュール空けましたって言ってくれたんです。 彼らは、前の年もその前の年も、福島のイベントに出てくれていたんです。だから、友だちの住む故郷での出来事という風に感じてくれて。彼らにとっても、大切な人たちが福島にはたくさんいたわけです。 その他の参加してくれたメンバーも、みんなそれぞれ、多分相当悩んだと思います。震災からたった半年で、こういうことをしてもいいんだろうかってことだったり、このタイミングで、音楽ってものが本当に必要とされているのかってことだったり、あとは、放射線への安全性はちゃんと検証されているのかということだったり。だから僕らも色んな専門家の意見や、実際の数値を検討しつつ、開催の半月前に変更した場所もありましたね。そんな風に、参加するみんなが、それぞれの想いを持ち寄って、集まってくれた6日間でした。

そのライブを終え、何を感じられたのでしょう。

月並みな言い方かもしれないですけど、やっぱり、感じたのは”音楽の力”なんですよね。僕はもう15年以上、タワー・レコードの「NO MUSIC,NO LIFE.」のキャンペーンをやってたりするので、音楽の力って、頭では理解しているつもりだったけど、その6日間で初めて目の当たりにしたんです。どんなに熱狂的なライブでも見たことのなかった風景がそこにはありました。世代を超えた人たちが、若い人だけじゃなくて、おじさん、おばさん、じいちゃん、ばあちゃんもそこのイベント会場にいるんです。みんなで「I love you & I need you ふくしま」を歌って、泣いてたり、すごい大声で歌ってたり、めちゃくちゃ笑顔だったりと。それはもう忙しいわけですよ。その姿を見た時に、福島の人たちは半年間も、泣くことも笑うことも出来ずにいたんだなって思ったんです。危険だから避難しなさいって言われてもね、それぞれの事情があるし、それぞれの想いもある。そんななかで音楽が、半年間溜まった苦しみを一日だけでも解放してくれたんだなと感じました。「LIVE福島」というイベントが、音楽は人を楽にしたり、労ったりしてくれるものなんだっていうことを体感させてくれたんです。

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「LIVE福島」は、原発に賛成するとか反対するってイベントでもないし、イベントをすることで放射能を減らすことが出来るわけでもないし、食料を調達するためのイベントというわけでもない。だけどやっぱり、生きてく上で必要なものって、泣いたり笑ったり歌ったりすることなんですよね。少なくともあそこに集まった2万数千人にとっては、「LIVE福島」が必要だった。県民全員ではないかもしれないけど、それを福島に届けることが出来たこと、ミュージシャンたちや総合プロデューサーの尽力もあって実現したことがやっぱり嬉しかったですね。ありがたかったです。

伝えなければならない、という広告屋としての使命感が芽生えました。

「LIVE福島」のドキュメンタリーを作ろうと思った経緯を教えてください。

作ろうと思ったのはライブが全て終わった翌日です。You Tube Live配信では200万近いリアルタイム再生もあったのですが、やっぱりすごい6日間、見たことのない6日間だったから、もっと多くの人にこのことを伝えなくてはいけないという、広告屋の使命感が芽生えたんです。あとは、出来るだけたくさんの福島県民が、海外の映画祭のレッドカーペットを歩いている風景が突然浮かんで、それってすごくいいんじゃないかと思ったんですね。まあそんな甘いもんじゃないってことは、今回ドキュメンタリーの監督をお願いした是枝さんにいろいろ教えてもらったんだけど(笑)。とにかく、この6日間を、ちゃんと残したい、伝えたい。その想いがありました。 ただ、僕も総合プロデューサーの平井も、それに気がついたのが、自分たちが体験した後だった。映画を撮ってもらう監督には、もうフェスを観てもらうことはできないわけで。監督も映画のクルーもフェスには入ってないですから。さあ、これはどうしたもんかなと思った時に、是枝監督がまっさきに浮かんだんです。是枝さんとは、2001年くらいから仕事をさせていただいているんですよ。ありがたいことに僕の仕事のやり方を面白いと言ってくれていて、前に対談した時に「箭内さんに言われたことは絶対断らないって決めてるんだ」とおっしゃってくれたのを思い出して。「よし、これは断られずにやってもらえるぞ」と思い、連絡してみたんですよ。 ただ、ちょうど是枝さんは連ドラと映画の制作に取りかかるタイミングだったので、すごく大変だったと思うんですけど、武士に二言はないと、快く引き受けていただきました。 実際、撮影が決まって是枝さんと話を進める上で、さすがだなと思ったのは、何か大きな出来事をドキュメンタリーにするのではなくて、”その後”というものにすごく興味が有るんだと言ってくれたこと。なので、実際にフェスに参加してくれた人たちにインタビューをすることにしました。ライブから、”その後”、何がそれぞれのなかに始まったのか、どんな今日を生きているのかということを取材するんです。だから、今回はこのパートが長い、インタビューを中心とした映画になりました。とても静かな映画です。物足りないと感じる人もいるかもしれないくらい静かなんだけど、その静かな時間だったり、言葉と言葉の隙間に、観る人が色んなことを考えることの出来るものになっていると思います。

制作にあたり、是枝監督とはどんなお話しをされましたか?

僕の名前は今回、クリエイティブ・ディレクターではなく、発起人となっています。実際、発起しただけなんですよね。本編のなかに僕も登場しますし。ドキュメンタリーを作るにあたり、僕がその映画をどうしようとか、こうしようというのは、正直邪魔だと思ったので、是枝さんが思いついたこと、是枝さんが作りたいものを、そのまま作って下さいとお願いしました。もちろん、編集したものを、僕や平井が見て、意見や感想は何度も話しましたけど、基本的な企画だったり進め方に関しては、是枝さんに決めてもらいました。そういう意味では、是枝さんがあの「LIVE福島」をどう観たのかってことを知りたかったというか。是枝さんの答えを聞くことが出来る映画になっています。

映画を観る人に伝えたいことは?

映画には何人かの人が登場しますが、その人たちは、福島に住む200万人のうちのなかから、たまたま出演したほんのわずかな何人かです。そのごく一部の人たちですら、それぞれの住んでいる場所、置かれた状況、男性、女性、年齢。いろんなことで、全然想いは違っています。だから、福島に200万の人がいたら、みんなそれぞれに違うんだってことを知ってもらえたらいいなと思います。知ってもらうってことがものすごく大事なんですよね。これ、”知る支援”と呼んでいます。金銭的支援や行動による支援、心配する支援。支援にもいろいろあるんだけど、事実を正しく知ってもらったり、こういう状況の人たちが存在するということを知ることが出来たら、それだけで大きな支援だと思います。この映画が、そういうきっかけとなったら嬉しいですね。

今回のツアーの開催地を決められた理由はありますか?

いろんな理由はあるんですけど、まず全国をまわりたいと思った時に、福島から札幌へ自主避難している女性から、「猪苗代湖ズは好きだけど、福島から出てきてしまったので、福島に観に行くことはできない。だから札幌にも来て下さい」と直接言われたんですよ。その人は『I love you & I need you ふくしま』を聞くと故郷を捨てたって責められているように感じて辛いともおっしゃっていて。それによってTHE HUMAN BEATSというユニットから『Two Shot』という歌も生まれました。考えが同じである部分は大切に、違う部分は尊重しようという歌です。ひとつになるわけではなく、2ショットでいる、ということを歌いました。そんな経緯もあり、彼女に、札幌には絶対に行きますよって約束したんです。 あとは、震災で福島の原発事故が起きたから、僕と福島との関わりのなかの成り行きも含めて、今はしゃかりきになっているけど、阪神淡路大震災の時、そういえば俺は何もしなかったんだなということを反省したり、震災後すぐに、仕事で沖縄へ行ったのがちょうど沖縄の戦争が終わった日だったのですが、その沖縄のことも、どれだけ自分が知っているのかというと、なんにも知らなかったことに改めて気がついて。だからそういう場所に行き、もっと知りたいなって思ったんです。なので、今回は長崎も、広島もあります。そういう先輩方の土地を知ることで、福島や東北の復興の知恵につながればと思います。 また、そういう土地だからこそ、自主避難の方たちも多いんですよね。行政の受け入れ体制がしっかりしているし、人も痛みを知っている人たちだから優しいし。そこは大きな理由のひとつですね。あとは、単純に福島の人たちが、箭内くんがフェスやるなら、沖縄行ってみようかって、福島からきてくれる人もたくさんいるので、なんか、そういう機会になればいいなとも思います。

長崎でのライブに向けてコメントをお願いします。

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僕、長崎大好きなんですよ。福岡の人の前で長崎大好きっていうのもなんですけど(笑)。長崎は福山雅治さんとの繋がりで、何回も行ってるんです。龍馬伝のロケでも行ったし、福山さんの稲佐山のコンサートにも行ったし、そこで長崎の美味しいものもいっぱい食べたし、お店の大将とかとも仲良くなったりして。単純に楽しみですね。あと、長崎の人たちが、九州でのライブ会場に長崎を選んだことをすごく驚いていて、喜んでもくれて(笑)。だからこそ頑張りたいなと思いますし、福岡の人たちもぜひぜひ足を伸ばして、見に来てほしいなと思います。ライブ自体も、すごく熱く、あたたかいメンバーがそろったライブなので見応えありますよ。怒髪天も高橋優も、ずっと一緒に回ってくれている仲間だし、音速ラインも渡辺俊美も富澤タクも、それぞれが福島の出身だったり在住だったりで、いろんな想いを持ってる人間なので。とっても楽しいライブになると思います。 福岡もそうですけど、長崎は特に、震災後の福島をすぐにいろいろな形で応援してくれた県なので、みんなで直接お礼が言えるっていうのも大事なことだと思っています。

INFORMATION

3/31[日] 風とロック長崎 LIVE福島 CARAVAN日本
東日本大震災から半年後の2011年9月、福島を6日間かけて横断したロックフェス「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」。その「LIVE福島」が九州では初となる長崎(長崎市公会堂)にて開催。

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  • 箭内道彦[Yanai Michihiko]
    クリエイティブ・ディレクター
    1964年、福島県郡山市出身。東京芸術大学卒業後、博報堂に入社。2003年に独立し「風とロック」を設立。主な仕事に、タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、ゼクシィ「Get Old with Me.」、東京メトロ「TOKYO HEART」「TOKYO WONDERGROUND」「We are the Tokyo Navigator」、サントリー「ほろよい」、ケイリン、グリコ「ビスコ」、桃屋「辛そうで辛くない少し辛いラー油」など。2010年、福島県出身である山口隆(サンボマスター)、松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET)と共にバンド「猪苗代湖ズ」を結成。2011年3月にチャリティソング『I love you & I need you ふくしま』を発表した。2011年9月に福島県内6ヶ所で開催した「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」にて実行委員長を務め、現在もその活動を続けている。

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