VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。
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映画監督
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数々の名作と伝説を遺し、1970年11月25日に防衛庁内で衝撃的な自決を遂げた一人の男、三島由紀夫。45歳という短い人生を自ら幕引きした彼は、その人生において、何を表現したかったのか。ともに割腹した青年・森田必勝(楯の会学生長)と三島の、その心の奥底には、何が潜んでいたのか。 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」「キャタピラー」と、強烈な人間の衝動を映像に封じ込め続けてきた鬼才・若松孝二監督が描く、昭和の文豪「三島由紀夫」。"若松組"の常連でもある俳優・井浦新さんが主人公・三島を演じるこの作品に、表現者としてお二人が込めた想いを伺ってきた。
若松監督(以下、W):連合赤軍で、猛吹雪の中を少年たちが行軍するシーンの撮影中です。連合赤軍には京大生が多かったのですかね。黙って学校を卒業していたら、お医者さんになったり、弁護士になったり、世間一般の社会の中ではいい地位に就ける人たちでしょう?そんな子たちが、なぜ私利私欲なくこういう事をやるのか?これをやると金が儲かるのか?と言う事を考えながら撮影をしてたんですよ。がむしゃらに生きた少年たちの感情に興味が沸いたんです。 そして、連合赤軍の対となるもう一方で、三島さんが結成した「楯の会」というのがありまして。なんで、あんなに金があって裕福な子たちが、そして大作家だった三島さん自身が、こんな事をやったのかと。連合赤軍側も撮ったのだから、彼ら「楯の会」のことも、映画として後世に残しておきたいと思った。それでチャンスがあったら撮ろう撮ろうと思ってて。まあその前に、もうちょっと予算のかからないヤツをやろうと「キャタピラー」を撮ったら、それが大変好評だったので、その上映料などを利用して「すぐ映画撮っちゃおう」と制作に入りました。それで、本作と、「海燕ホテル・ブルー」の2作品を撮ったということですね。
W:連合赤軍も、楯の会も、色んな人が色んな観点から書いていますけど、僕は僕なりの視点で作りました。連合赤軍は山荘の中だけの話が多いけど、山岳ベースから連合赤軍崩壊に至るまでの過程も描いています。これは坂東という、当時本当に戦った人間に話を聞いているし、楯の会も、残っている資料を調べたり、楯の会の生き残りの人に話を聞いて作っている。双方からの生の意見を聞いているから、僕はどっちが良いとか、悪いとかは思わない。まあ一般的に言えば悪い事なのかも分からないけど、彼らは彼らの信念のもとに、正々堂々とやってんだから、別に人生を小さく生きることはない。自分なりの誇りを持って生きなさいということを伝えたいんです。だから僕の作品はみんな本名。名前なんか変えてない。よその作品はみんな名前を変えたりしてやるけど、僕は変えない。それで文句があるならいつでもいらっしゃいと。僕はきちんと対応します。まだ誰も来たことはないけどね(笑)。本人が出ている訳じゃないけど、ドラマとしてのドキュメントをやっている、ということなんですね。
W:僕はもともと同じ人でいこうと思っていたから。左翼の映画に出た人に右翼の映画でも演じて欲しかった。日本にもいろんな俳優がいるから、とりあえず誰にしてみようか考えてはみたんですよ。それでずーっとエンドレスに考えると、結局新くんのところに戻ってきちゃう。やっぱり、新くんしかいないんだよね。そして、今回も新くんに決めて「さあ、行くぞー!」って電話かけたら、病院に入ってやがってね(笑)。足を折っちゃったと。「なんだよー!治せー!」ってね(笑)。
W:うん。あと、楽だしね。僕のことをよく知っているし。一番良いのは、慣れっこにならないってことだよ。普通、何本も一緒に作っていると、だんだん慣れて来てしまいがちだけど、新くんとはそうならない。お互いにストイックな関係かな。「ここが気に食わない」って怒鳴りあったりするし(笑)。撮影じゃない時だったら、一緒に飲んだり、仲良いんですけど、撮影に入ったら、お互いに慣れっこになるのは一切止めようと。僕は慣れっこが嫌なんです。今までの撮影もずっとそうやってきたから。
井浦新さん(以下、A):先ほど監督がおっしゃったように、ある現場で怪我をしてしまい、病院で足を吊られている状態の時に、監督から「新、お前に三島を任せたぞ」と直接電話で連絡を頂きました。僕が連合赤軍で参加させてもらった時から、監督の構想は現場でもずっと語られていたので「いよいよなんだ」と思ったのですが、まさか自分に三島由紀夫さんの役が来るとは想像もしていませんでしたね。監督が何年もずっと重ねて来た想いというものを知っている分、嬉しい気持ちはあったのですが、足も怪我しているし、すぐに「やらせてもらいます」とは言えなくて。それで監督に「実は今、自分はこういう状態なので、三島役を演じる事はできないと思います」とお伝えしたら、「ふざけるな!」と怒られてしまって(笑)。そして「もうお前しか考えてないんだぞ、とにかく立てる所までなんとしてでも治せ!」とおっしゃって頂いたんですね。そんなことを言って頂けるなんて本当にありがたいことで。その言葉を聞いて、初めて「やらせてもらいます」と言えました。といっても、やっぱり治るかどうかは分からないですからね。とにかく、2ヶ月後にひかえたクランクインに向け、そのことだけをずっと考えていました。心がそこにしか向かなくなる、という感じでしょうか。そうすると、本当に精神が肉体を凌駕していき、2ヶ月の期間で、奇跡的に動ける状態まで戻りました。ただ、動けるようになったとは言え、走ったり、自衛隊が訓練しているような激しい動作などは、骨折後、撮影時が初めてだったので、どこまで身体が言う事を聞いてくれるのかは心配でしたね。そういうところは、具体的に言葉で追い込まれるというよりも、やはり監督が求める”自分なりの三島像”を、なんとしてでも演じきろうという意識が、ものすごく高い所に達していたので、頭で考えず、身体で考えず、気持ちのみを純粋に芝居にぶつけることができました。
A:それは自分では全く分からないです。でも、人から見て、全く違うけど似てるように見えたとか、見えてきたよという声を頂けるとありがたいです。ですが、やはり自分が演じたのは、監督が作った「三島由紀夫と若者たち」の映画の中の、ある一人の男。監督が作った世界観を、監督と技術チーム、そして共演者たちと、どうセッションしていけるかということに意識を向けていました。三島由紀夫本人に寄せていくという思いは全くなく、引っ張られて寄せて行くなら、とにかく監督。監督の作品への想いに引っ張られて引っ張られて、あのような表現になっていったという感じです。
W:簡単に言ったら、後ろから足で蹴っ飛ばして、急流にぶち込んだのと同じなんだよ。そしたら全然泳げなくても、死ぬ気になって泳ぐでしょ?映画も、それと同じように、現場にバーンとぶち込むと、よくセリフ覚えたなって思うくらい、すごい演技を見せるもんですよ。どんどん高揚して行って、自然と全共闘の喋り方になっていく。
A:なっていくんですよね。
W:面白いですよ。ああいうのをのったらくったら、テストやったりリハやったりじゃあ臨場感が出ないでしょう。黙って後ろから突き落とすくらいがいいんだよ。だから、新くんの顔も振る舞いも三島さんそっくりだもんね。あの芝居だけでもこの映画を見る価値があると思いますよ。
A:撮影期間は12日間だったのですが、初日から最終日に切腹・自決して行くまで、気持ちは一定のリズムを保っていました。そのかわり、監督に思いっきり引っ張られ、今まで自分が経験した事のないような集中力の域まで達していましたね。人間って、本当に不思議だと思うのですが、怪我をしたけど精神が肉体をどんどん凌駕して行った時と同じように、ものすごく集中力が高まった時、気持ちがぶれなくなってしまうんです。なので、撮影期間の12日間は、どんなに一瞬で終わるシーンでも、10分間くらいの長まわしだとしても、ずっと同じ気持ちで、僕にとってはどのシーンも特別でした。クライマックスの演説は確かに印象的なシーンではありましたが、印象的であればあるほど、心の中は嵐の前のように、静けさを保っていたような気がします。
A:大げさなことでは全くないんですよ。三島由紀夫さんに感化されて名前を変えたとかっていうことでもなく、もっとシンプル。若松監督が、三島由紀夫さんと楯の会を題材に、その時代の若者たちや、日本の心というものを描き、監督の作品の一つとして”映画”になるということを想像した時に、ストーリーが終わった後、エンドロールにアルファベット表記の名前が突然ポンッと出てきたら、なんだか残念な気持ちになるかもなと。自分だったら、それを映画館で観てしまったら、どう思うのだろうかと引っかかる部分がありました。それで監督に相談させてもらって「この作品を機に名前を本名に戻させてもらってもいいでしょうか」と話したら、「お前は真面目すぎるな」と笑われながら、「でも、いいんじゃないか。そういう気持ちは嫌いじゃないぞ」とおっしゃって頂いて。そして、この若松監督の作品を機に、名前を変えさせて頂きました。本名と違い、アーティストネームは、言ってみれば肩書きや記号でしかないので、僕は百通りあってもいいと思います。それこそ葛飾北斎だって何百通りと名前を変えている。それもエンターテイメントなんじゃないかと。アーティストネームというのは一つの表現にしか過ぎないので、それが何かの作品を機に、または気分転換に、変わっていくのも、その人の自由でいいんじゃないでしょうか。
W:「千年の愉楽」は見所なんかない。全部見所ですよ。ほんとに最初から最後まで目がそらせないと思いますよ。
A:物語が縦横無尽にどんどん展開して行きますからね。
W:アレ、もう終わったの?というような感じ。俳優さんも、寺島しのぶを中心に、新くん、高良健吾、高岡蒼甫、染谷将太、佐野史郎、山本太郎という実力派が揃い、どんどん目まぐるしくストーリーを展開していきます。これも撮影は2週間かからなかったかな。あんまり移動がなかったから楽だったよ。
A:近県で公開されている「海燕ホテル・ブルー」。こちらも是非観て頂きたいですね。先日、この作品でカンヌに行ってきたのですが、正直”三島”と”海燕ホテル”を見せると、みんな、”海燕”に興味を持つような感じでしたね。「なんだ、この作品は…」というふうに。それぐらい強烈です。
W:外国の方はこっちの方が好きかもしれないね。「海燕ホテル・ブルー」は不思議な映画なんですよ。俺、今日もちらっと見たけどさ。地獄か極楽かというと、地獄なんだろうな。あそこは(笑)。
今年、計3本の映画を公開する”若松組”。「海燕ホテル・ブルー」は残念ながら福岡での公開予定はありませんが、佐賀のシアター・シエマで、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」は中洲大洋で、どちらも2012/6/29[金]まで公開中です。また「千年の愉楽」は2012年秋公開予定となっています。ストイックなまでに、” 映画”、そして”人間”に向かいあう若松組の作品を、あなたも是非劇場でご覧下さい。
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