AFRO FUKUOKA

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VOICE 来福した旬な著名人にお話を聞いてきました。

  • PEOPLE
  • 2011.10.1 Sat

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vol.27 小野亮 = FROGMAN

RYO ONO

INTERVIEW

  • 小野亮 = FROGMAN [Ryo Ono = FROGMAN]
    RYO ONO
    1971年東京都出身。映画監督を夢見て映画製作会社へ入社。その後フリーとして『北の国から98時代』などのテレビドラマや『守ってあげたい!』『白い船』といった映画の撮影に参加。映画の撮影で訪れた島根で知り合った女性との結婚を期に映像業界を離れ、そのまま島根に移住。地方発の映像配信をコンセプトにウェブサイトをたちあげ、FLASHを駆使し、自分の声のみでキャラクターを演じ分ける独特のスタイルをもつ自作のアニメーションを次々と公開し大きな話題に。FROGMANとして、『秘密結社 鷹の爪』『古墳ギャルのコフィー』などの人気作品を製作。『秘密結社 鷹の爪』は映画化もされている。

    蛙男商会公式サイト
    www.kaeruotoko.com/

TEXT BY

STAFF
AFRO FUKUOKA

福岡の情報ポータル&ウェブマガジン

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フレキシブルな発想とスマートな行動力フレキシブルな発想とスマートな行動力

先日からAFRO福岡を、文字通り「征服」していた「鷹の爪団」を、あなたはご存知でしたでしょうか?最 近ではテレビCMはもちろん、映画館の上映前予告やポスターなどにもよく見かける「鷹の爪団」の面々。実 はあの特徴的なアニメーションは、たった一人の声のみでキャラクターを演じ分け、しかもアニメーションの 制作そのものも、一人で完結してしまっているのです。多額の資本やマンパワーなどでは生み出せない、個人 のフレキシブルな発想力とスマートな行動力をそのまま作品に活かしているその人こそが、「FROGMAN」 こと小野亮氏。福岡パルコでのイベントのために来福された小野氏に、個人クリエイティブの可能性はもちろ ん、ご自身も最大限に活用されたというインターネットの普及によって絶対的距離が解消されつつある「情報 発信の新たな形」について伺った。

僕好きなんですよね、福岡。

まずは先日から「鷹の爪団」がAFRO福岡を征服していましたが、FROGMANさんご自身は福岡へはよく来られているのですか?福岡の印象もお聞かせ下さい。

福岡は実写映画やドラマのスタッフをやっていた時代も度々来ていましたけど、今みたいにFLASHアニメー ションを始めてからも、ソフトバンクホークスさんとのコラボレーションなどをさせてもらっていることもあ って、来る機会はなんだかんだありますね。今回は去年の夏に「ホークスの日」というイベントに出させても らって以来なので、約1年ぶりになります。というか、僕好きなんですよね、福岡。僕には「いつか住みたい 街」っていうのがあるんですけど、信州の松本と、札幌、あと福岡に住みたいと思ってて。福岡は食べ物も美 味しいし、街もすごく都会で活気があるし。その割に家賃も安いですよね。東京のワンルームを借りる金額で 1LDKとか2LDKマンションに住めますよね。大阪とか神戸とか名古屋とかは、そこまで住みたいとは思わな いんですけど、福岡は本当に住んでみたくて。かみさんにもいつも言ってるんですよ。いつかは松本か札幌か 福岡で暮らしたいって。すごく嫌がるんですけど(笑)

ではあまり東京にこだわってるというわけではないんですね。

そうですね。僕はあんまり東京には固執してないですね。特にこの間の震災があってからは、一つのところで、ずっと意地を張って物を作ることにあまり意味を感じなくなって来ていて。極端な話、外国でもいいと思っています。

なるほど、それでFROGMANさんといえば、東京というよりも島根という印象が強いのも納得がいきますね。しかし何故島根なんですか?

僕は東京生まれの東京育ちなんですけど、ずっと映画やドラマのスタッフをやっていたんですよ。で、島根にロケに行って、今のかみさんと知り合って。スタッフはみんな東京に帰り、僕は島根に残り、かみさんのところに居着いてしまった感じですね。まるで『ビルマの竪琴』みたいに(笑)。よく島根出身と思われているのですが、島根に実質暮らしていたのは4年くらいなんです。 今は仕事もありますし、東京に戻って生活していますが、休みのときは必ず家族で島根に帰っていますよ。ただ、テレビシリーズが続いていると島根に帰る暇がなくて。この間ようやく終わったんですが、また秋からテレビシリーズが始まるので、しばらく帰れそうもないですね。

テレビ局の力を借りずに、映画配給会社の力も借りずに、自分で作品を発表出来るっていうこと自体、「これは画期的だな!」と思ったんです。

FROGMANさんといえばFLASHアニメーション、しかもお一人で制作をこなされているとお聞きしていますが、今もお一人で制作されるのですか?

蛙男商会のチームとしては僕を入れて3人でやっているんですけど、脚本からキャラクターデザイン、声、編集、アニメーションの作業は今も全部1人でやっています。アシスタントにやってもらっているのは、録音した声を整音する作業とか、背景を書いてもらったりとか。もともとプロのアニメーター出身のアシスタントなので、ちょっとしたアニメーションなんかはやってもらっていますね。

制作は今もFLASHを利用されているのですか?

そうですね、今も変わらずFLASHでやってます。劇場公開している映画も含めて、全てFLASHで作っていますよ。

それはすごい!しかもFLASHは独学だとか??

独学です。なぜ島根に暮らそうと思えたかというのとも通じるのですが、実写の世界で映画とかテレビとかをやっていた20代の頃に、インターネットがすごい勢いで広がり始めたんですね。あの頃って、インターネットを使えば、個人で色々コンテンツを発信出来るということが話題になっていて。僕みたいに、ずっとテレビや映画でやっていた人間からすると、テレビ局の力を借りずに、映画配給会社の力も借りずに、自分で作品を発表出来るっていうこと自体「これは画期的だな!」と思ったんですよ。余計なしがらみもない、もっと言えば、東京で作る必要もないって。しかもどうせやるんだったら東京よりも、極端な話、コンテンツの極北みたいな島根県みたいなところから面白いものを発信したらすごい話題になるだろうなと思って。それで島根に住み着いて、最初は実写の作品を出そうと考えていました。ただ、なかなか一人じゃ実写は出来ないですし、もっと言えば、あの頃はYouTubeなんか無かったので、動画のストリーミングサーバを借りてやろうとすると、月額の維持費で50〜60万くらいかかる時代だったんですね。とても個人でそんなのやってられないと思って、企画としては頓挫してしまったんですが。その後に、今、確か福岡に住んでるのかな?青池亮輔さんの『CATMAN』というFLASHのアニメーションを見つけて。それを見た時に、こんな映画的な表現もネット上で発信することが出来るんだと思って、なんだろうこのツールって探しているうちに、それがFLASHだと知ったんです。で、FLASHを自分でもやってみようとはじめたんですよ。FLASHの本を買って来て。絵なんか描いたことも無かったんですけど。だから最初は絵の練習をしながらやってましたね。

確か私がはじめてFROGMANさんの作品を拝見したのは、『菅井君と家族石』だったと思うのですが、絵を描いたことのない人が作ってるなんて思ってもみませんでした!

子供時代は、絵が上手って言われてたりもしたんですけど(笑)。別に美大に通った訳でもないですし、これと言って勉強もしていないんですけどね。「菅井君と家族石」は一番最初の作品ですね。キャリアもなく、たまたまFLASHの勉強・練習をしようと思って。そしたら「STUDIO VOICE(雑誌)」があって、その時の内容がちょうどR&BとかFUNKの特集で。それ見ながらスライを書いたり、レイ・チャールズを書いたりとかしてるうちに、たまたま書き上がったものを並べてみたら家族みたいだったから、じゃあ家族の物語を作ろうと思ったのがはじまりだったんですよ。思いついてやり始めて1年足らずで、自費ですが一応DVDも出しましたし、ネットでも話題になってきていたので、そういった意味ではやり始めてからは早かったですね。

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インスピレーションというか、狙ってやっているのではなくて、パッとした閃きですね。

その時代から、現在に至るまで、「鷹の爪団」をはじめ多くのキャラクターが生まれているわけですけど、それぞれ個性が

強く、クセがありますよね。それらのキャラクターを生み出す際に何か参考にされているものや人などはあるのですか?

もともと映画監督になりたかっただけに、映画がやっぱり好きで。自分が観て来た映画の中では、あんなキャラクターかな、みたいにイメージを借りて来ることはあるんですけど、これといって特別なことはないですね。

ちなみに、どんな映画がお好きなんですか?

色々好きですよ。好きな監督でいうと、ウッディ・アレンだったり、NY派と言われるスコセッシとかコッポラとか。そのへんの人たちが好きだったりします。後はアメリカで言うとコーエン兄弟とか。タランティーノも好きですし。タランティーノのダイアログ(対話)って、僕らが20代前半の頃ってすごく話題になっていて。「レザボア・ドッグス」の冒頭の、カフェのシーンや、「パルプ・フィクション」のやり取りや構成だったりとかは、すごく参考にしていました。タランティーノの映画の言い回しがすごく洒落てるんですよね。すごい皮肉たっぷりだったりとか。ああいう言い回しを、意識的に友達同士で会話の中に盛り込むというのが流行った時代があって。ダイアログを、すごく自分の中で大事にしていた時代があったんですよね。そういうのがもしかしたら今の鷹の爪をはじめ自分の作品にも結構活かされているんじゃないかなと思う時はあります。特にセリフの言い回しでは、無駄な言葉を無くしたいというか。セリフも突き詰めて考えます。

「吉田くん」って名前のキャラクターがいたりするのは、もともと誰か参考になった人がいるからかなと思ってました。

吉田くんという名前が付いたのも本当に偶然で。何となく描き上がったものを見て、「やめろよ、吉田くん」って(笑)あまり、そういうありふれた名前を付けることってないんですけど、自分でも何で吉田くんにしたのか覚えてないんです。だいたい名前は変なのをつけるんですけど。菩薩峠とか、レオナルド博士とか。みんな変わってるんですが、でもなぜか、吉田くんは吉田くんでしたね。インスピレーションというか、狙ってやっているのではなくて、パッとした閃きですね、だいたい。閃いて、使えるか使えないかじっくり考えることはしますけど。着想は、いつも偶然に出てくることが多いですね。

お一人で声を使い分けていらっしゃるので、キャラクターの個性は話し方やセリフのトーンで変えていくしか無いと思いますが、大変ではないですか?

そうですね。自分の声では出せないキャラクターは存在し得ないので、どうしても僕の作品はおっさんばっかりになってしまうんです(笑)。鷹の爪も、おっさんと吉田くんみたいなキャラクターと、DXファイターとか。だから若い女性キャラクターがなかなかいないんです。

東京に出て行ったりとか、大阪に出て行ったりとか、大都市に行ってクリエイターを目指すことをしなくてもいい。

正直なところ、今は実写の映画も撮ることができる環境にあるかと思いますが、実写映画を製作されることは考えられたりしますか?

すごくあります。自分の中でも実写の企画がたくさんあって、企画書もあるんです。昔の仲間や後輩もプロデューサーになっていて、「小野さん撮らせてくださいよ。」って言ってくれるんですけど。今はDLEという企業に属しているので、その仕事のスケジュールが優先になりますね。フリーになっちゃえば良いんですけど、フリーにはなりたくないんですよ。嫌な思い出ばっかりですから(笑)

ではそれ以外には今後どんな展望を描かれているのですか?

最近、会社全体で英語をしゃべれるようになろうという動きがあって。ネイティブスピーカーの人間もいて、朝もブレックファストイングリッシュというのがあって、朝飯を食べながらみんなで英語で会話したりとか、ランチも英語オンリーでランチするとかやってるんですよ。会社として鷹の爪とかを海外に持っていこうという展望もあります。で、鷹の爪を海外で公開するとすれば、できれば、ネイティブスピーカーの声優さんじゃなくて、自分でやりたいんですよ。まあ、何から何まで自分で全部やってしまえた方が話題性もあるでしょうし。僕自身、どんどん海外に出て行きたいという思いもあるので。なので中国語も勉強中です。やっぱり、語学の壁というのは大きいですね。日本のコンテンツが海外へ乗り越えていけないのは、単純に語学の問題なんですよ。海外では、日本のコンテンツはもちろんすごく評価が高いですし、好きな人も多いんですけど、その割には海外に出てないんですね。その一番の要因が何かというと、語学の壁なんじゃないかと。言葉さえ通じてしまえば、文化も知ることが出来る訳じゃないですか。単純に言葉が喋れないということだけで海外に出られないというのは、すごく色々な機会損失だと思うんですよね。だからまずは英語だと思うんですよ。DLEも今、会社として中国と色々協業していますけど、だいたい中国のコンテンツビジネスのトップの人たちって、ほとんどが英語ペラペラですし。英語さえ使えれば何とかなるんですよね。

確かにインターネットのインフラも整って、海外進出することが以前のようにすごく壁の高いものではなくりましたしね。若い方、資本の少ない方でもチャンスがありますよね。

そうなんですよ。インターネットが登場して、何が一番変わったかというと、インターネットがない時代って、地方の話題とか地方の情報は、大阪だったり東京という都市に一旦集められて、都会のフィルターを通して地方へ発信されることが多かったんですね。でなければ、地元のテレビ局が地元の話題を取り上げるか。福岡の人が島根のローカル情報を得るには、昔は手段が無かった。でも今は、誰でも簡単に、様々な地域の情報を得ることが出来るようになってきて。同時に、地方の人が、別に東京に向けてではなくて、地方に対しても情報発信できるようになって来た。これってものすごくチャンスだと思うんですよ。なにもこれからは、東京に出て行ったりとか、大阪に出て行ったりとか、大都市に行ってクリエイターを目指すことをしなくてもいい。 しかも、福岡はむしろ東京よりもアジアの方が近いわけじゃないですか。語学の問題さえ乗り越えてしまえれば、別に福岡から直接アジアという広いマーケットに作品を発表したりとか、情報発信することができる。むしろ今後は東京向きよりも、福岡の人は特にアジア向きにやっていったら良いんじゃないかな。まさしく福岡も今そういう風に、アジア向けに開かれた街を作ろうと懸命にやられてますよね、行政も。僕はいち個人のクリエイターレベルでもそれはしてもいいんじゃないかなと思いますね。福岡はすごく良いクリエイターが多いじゃないですか。街としては規模も大きいですし、市場も大きいですし。福岡県内で食べていくっていうだけでも、充分人口も規模もあると思うんですよ。なおかつアジアにも近いって言うのは、むしろ東京で何かやるって言うよりも、しがらみも少ないし、良いんじゃないかなと思いますね。

福岡で暮らしている私たち以上に福岡をご理解いただいていますね(笑)そういっていただけると嬉しくなりますし、頑張らなきゃと思えます!最後に、AFRO福岡の読者のみなさんへ一言いただけますか?

まだ馴染みは薄いかもしれませんが、今後鷹の爪は九州方面にも力を入れていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。10月からは新作も放送しますので、そちらも観ていただければ嬉しいです。ありがとうございました!

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  • 小野亮 = FROGMAN [Ryo Ono = FROGMAN]
    RYO ONO
    1971年東京都出身。映画監督を夢見て映画製作会社へ入社。その後フリーとして『北の国から98時代』などのテレビドラマや『守ってあげたい!』『白い船』といった映画の撮影に参加。映画の撮影で訪れた島根で知り合った女性との結婚を期に映像業界を離れ、そのまま島根に移住。地方発の映像配信をコンセプトにウェブサイトをたちあげ、FLASHを駆使し、自分の声のみでキャラクターを演じ分ける独特のスタイルをもつ自作のアニメーションを次々と公開し大きな話題に。FROGMANとして、『秘密結社 鷹の爪』『古墳ギャルのコフィー』などの人気作品を製作。『秘密結社 鷹の爪』は映画化もされている。

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